2010年05月08日

侍戦隊シンケンジャー・考察 其の拾「戦隊」

 志葉家十八代目当主。その重責を受け継いで生まれた者と、身代わりとなって背負った者。二人は大義の為に出自を偽り、それ故に孤独の中で己を鍛え、戦う強さを得ようとした。一人になるしかなかった。
 しかし、実際に戦って初めて分かる事がある。一人ではだめだ。




 「侍戦隊シンケンジャー」は、スーパー戦隊シリーズの33作目の作品だ。

 戦隊ヒーローの物語のクライマックス、元来ならば力が及ばないほど強大な敵の前に、一度はヒーローが絶望しかけてしまう展開が多い。そこを乗り切って立ち向かっていく燃え展開パターンが王道ではないかと思う。
 しかし、「侍戦隊シンケンジャー」はそうではなかった。自分たちがチームとして戦ってきたことで積み重ねてきた時間を、信頼を、絆を、一度否定してバラバラにすることで、戦隊ヒーローとしての最大の危機を迎えさせたのだ。

 ちょっと個人的な話になるが、以前mixiで親しくさせてもらってる人が「スーパー戦隊シリーズは "進化する伝統芸能" なんですよ」と話してくれた事がある。この表現は非情に秀逸で印象深かった。毎年毎年始まる新シリーズ。変わらぬスタイルと変化するモチーフ。たとえ同じモチーフだとしても、スタッフや役者、特撮技術や玩具の出来、世相や流行などから、同じ戦隊は二つと無い。
 しかしどんなに時代が移っても、恐らく変わらないであろう部分がある。戦隊とは、チームで戦うヒーローであるという事だ。
 戦隊の特徴を端的に表しているのが、巨大ロボ戦だろう。合体ロボだ。そしてあとから増えてくるアイテムやロボもどんどん合体して、最終的に一つの巨大なロボになる。異なる要素が組み合わさって、さらに大きな力になる…
 団結・協力と言うカタルシスがここにある。個の限界を超えたところに見えてくる、他者とのつながり。共に戦う事で、一人一人でいる時よりも、より大きな力で、強さで、脅威に立ち向かっていく。




 物語の中でシンケンジャー達は代々、侍として生き、戦う運命を担ってきた家系に生まれている。「人の世を守る」というヒーロースピリッツが、家の使命として伝承された特殊なヒーローだ。その大義故に若者たちは、自分を犠牲にして戦ってきた。生まれた時から定められた使命、定められたチーム。それらは伝統として伝え続けられている。
 そしてその伝統故に、それまで常に皆を引っ張り、守り、重荷を背負い続けてきたシンケンレッドが、最大の敵との決戦を前にチームを離れてしまう。それまでレッドを当主と仰ぎ従ってきた侍達に深い葛藤が生まれる。

 しかし彼等が戦っていたのは、唯、宿命故だったのだろうか。
 この「シンケンジャー」六名にある絆は、伝統の主従関係だけなだろうか。
 そうではない、と、彼等の戦いを見守ってきた視聴者は誰もが思うはずだ。

 四人の侍が影を助けに走る。その強い思いが、外道の闇から丈瑠を救い出す。彼等がそれぞれが自分の言葉で語りかけることで、己に積み重ねられてきたものを、丈瑠自身が受け入れる。重責を負う事で誰よりも真摯に侍として生きてきた丈瑠が流す、殿の顔ではない、一人の青年としての涙… この一連のシーンは心が揺さぶられた。そこにあるのは、伝統の枠で、家系の業で、定められた主従関係ではない。私達が物語を通して見守ってきた、志葉丈瑠と、池波流ノ介と、谷千明と、花織ことはと、白石茉子の、五人の絆だ。
 そして新たにレッドとして据えられた正統継承者もまた、孤独の中にあった。必死で会得した必殺技「封印の文字」が破られ、自身も大けがを負って、絶望の中で見いだした希望。それこそ、共に戦う仲間の存在なのだろう。
 光と影が孤独を共有し、仲間の大切さを再認識することで再び、シンケンジャーは戦隊ヒーローとして動き出す。

 この物語を通して見た時、やはり「侍戦隊シンケンジャー」は、志葉丈瑠と言う青年が、運命の中でヒーローとしての輝きを見いだすまでの物語だったのかなあと思う。それも戦隊ヒーローとしてのヒーロー像だ。孤独の影をたたえ、何かを抱えている風の主人公が、長い時間をかけて仲間との信頼関係を築き上げ、しかしヒーローとしての資格を剥奪されて闇に堕ちかけたのを、仲間の助けで復活し、再び戦い勝利する。失墜した英雄の復活に「仲間」の存在がキーになっているところが、戦隊ヒーロー故なのだろう。
 養子にすると言う荒技ではあるが、正統な手続きで「殿」の資格を得ると言う展開も非常に面白い。この物語の世界観ではそういう「伝統的な正当性」を外してしまうと、ヒーローとして邪道になってしまうからだ。
 余談だが最後に姫に見合い写真を見せる事で、志葉家の正統な血筋としての存続もちゃんと見せたのは成る程と思った。後もう一つ余談ついでに言えば、丈瑠が復活して以降の名乗りポーズは、グリーンとピンクは明らかに違った。それまでの落ち着いた印象のポーズと違って、鋭い動きがある。この二人が序盤、戦う伝統や主従関係に批判的だった事を考えると、感慨深いものがある。



 シンケンジャーの最終決戦。
 「策ならある。力ずくだ」それは個人の技と精神力を真っ直ぐに敵にぶつける戦い。日下部が駆けつけ、姫の渾身のディスクを側近丹波が届けることで、彼等はひとつになる。シンケンジャー達の絆に、伝統と言うくさびを打ち込んでいた悪役丹波のモヂカラが、最後のピースとしてはめ込まれた時、「侍戦隊シンケンジャー」は完全な戦隊ヒーローとして文字通りの総力戦になる。





 「侍」と名付けられたヒーローの物語。
 戦う運命と、個人の意志。受け継がれたヒーロースピリッツを自分の魂に重ね、定められた主従関係を超えた真の絆を得る。
 親から受け継いだ愛と業。しかし人は、それにいつまでも縛られていてはならない。与えられた愛を受け取り、背負うべき業は背負って、自らの意思で歩かなくてはならない。
 その時、初めて気付くものがある。揺るがぬ意思。研ぎ澄まされた力。紡がれた絆…

 大義でも責務でもない、人の世を守る真のヒーローとして。
 胸の内に見いだした光を共有出来る仲間達と、全員で勝ち取る勝利!
 スーパー戦隊シリーズのヒーローとして、それ以上相応しいものはないだろう。





 侍戦隊シンケンジャー、これにて一件落着。






この長いシンケンジャー考察を読んでくださった皆様、ありがとうございました。
色々と分かりにくさ、独りよがりな解釈もあったと思いますが、楽しんで頂ければ幸いです。










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2010年04月24日

侍戦隊シンケンジャー・考察 其の九「正統」

 シンケンジャーとして選ばれた若者たち。彼等は、それぞれ葛藤を抱えたまま、それでも人の世を守る為に戦う。
 長きにわたり続く戦い。家系に引き継がれるモヂカラにはそれぞれ特色があり、その中でも圧倒的に強く破壊的な力を持つのが、当主である志葉家だ。志葉家が倒れる時は、すなわち人の世の終わり。だからこそ、侍達は命を懸けて当主を守り、当主はその重責を背負い続けなくてはならない。





 志葉薫は志葉家十八代目の当主であり、真のシンケンレッドの継承者だ。シンケンジャーの弱体化に危機感を抱いた先代と家臣達が、影武者を立ててまで守ろうとした存在である。外道衆に対する唯一の対抗策である封印の文字を操れるのは、志葉家に伝わる火のモヂカラだけだからだ。
 志葉家だけに伝わる強烈なモヂカラ。その力は他を圧倒するものがある。あくまでも推測ではあるが、年も若く実戦経験もない薫姫が、外道衆と互角以上に戦えたのは、やはり潜在的に持つモヂカラの強さもあるのだろう。
 何より彼女は、先代すらマスターできなかった封印の文字を会得している。元々の才能。自分が生まれる前に死んでしまった亡き父への思い。影武者に頼る事を侍として潔しとしなかった使命感。実践から離れている事で修業に集中できた環境。封印の文字習得の理由には様々な要因が考えられるが、側近丹波が言うように「血のにじむような努力」であったことは間違いないだろう。
 確かに戦いは影武者である丈瑠が出陣するので、薫姫は安全だ。しかし自分の身分を偽って、外道衆から隠れるように生きていなくてはならないのもまた事実。志葉家当主としての孤独を抱え、一人きりの戦いをしていたのは、丈瑠も薫姫も変わらない。
 誰よりも中心になって戦わなくてはならないはずなのに影武者に守られていると言う、そんな立場を侍として潔しとしなかった薫姫。揺るぎない意志と聡明な判断力を持ち、人の気持ちを察する事の出来る良き当主だ。私は「シンケンジャー」の物語の中で、彼女は気の毒な立場であると思う。侍も黒子達も、どこか影武者・丈瑠に強い思いを持っており、どこか報われないなという印象があった。前回書いたが、最も心情的・立場的に丈瑠に近いはずの源太が姫との共闘を申し出る事が、キャラ的に大きな救いであると思う。
 また、丹波と言うコミカルで少し憎たらしい側近をつける事で、視聴者の不満や憎しみが直接薫姫に注ぐのを防いだ。よく聞くとちゃんと丹波は姫の立場を主張しているのだ。ただ我々視聴者は、ずっと応援し続けた丈瑠に思い入れてしまうのでカチンと来てしまう。侍達と視聴者の感情が、ちゃんとリンクしているのは見事だなあと思う。



 苛烈な戦いの日々を過ごす事で、起こってしまった光と影の逆転現象。それは人生を大義に捧げ自分の役目を果たした丈瑠の得たものの結果ではある。

 しかし、シンケンジャーはあくまでも、志葉家を中心に代々の侍の血筋だけが引き継ぐモヂカラで戦う集団だ。真の継承者の前で、影がその立場を失うのは当然だろう。それは所謂「建て前」などという軽々しいものではない。たとえどんな理由、どれほど強い思いがあろうと、侍達は姫を守って戦わなくてはならない。でなければ、外道衆から人の世を護る事は叶わないからだ。
 それを誰よりも理解しているのは、丈瑠自身だったろう。そして姫が表舞台に立った事で、偽りの立場が露見した。丈瑠は人々を守り、侍達の命を預かる重荷を、一生背負い続ける覚悟をしていたのだが、それすらも無用のものとなった。あとには何も残らない。志葉家当主の影武者とは、一人の青年の人生を捧げなくてはならないほどの重みだったのだ。



 全てを失った(と感じていた)丈瑠を、源太が追う。しかし源太の前から丈瑠は去る。
 源太はシンケンジャーという立場を捨てて追いかけたが、丈瑠を救う事は出来なかった。私は、それは源太は丈瑠にとって、最初から立場や大義を超えた友達だったからではないかと思う。彼は「丈瑠が失ったもの」には含まれていないのだ。たとえ「殿様」でなくても、源太は丈瑠の友達だったろう。



 源太が見失ってしまった、彷徨う丈瑠を見つけ出したのは、幼い頃から共に過ごした日下部だった。
 日下部は、丈瑠を志葉家当主として教育する役割であり、亡き父の代わりでもある。二人の細かいやり取りを見ると、日下部がどれほど丈瑠を大切に思い、育ててきたかが分かるし、丈瑠も日下部には心を許しているのを感じられる。しかし、それほど深いつながりを持つ日下部でありながら、十蔵との戦いに身を投じようとする丈瑠を留める事は出来なかった。
 これは私なりの考えなのだが、日下部は丈瑠にとって「身内」であり「同じ罪を背負うもの同士」だからではないかと思う。唯一本当の事を知っているジィだからこそ、丈瑠は本音を言える。そして日下部が仕えているのも実は元来の当主薫姫であり、「姫を守る為に偽りの当主を育てている」立場でもあるのだ。丈瑠は迷った時日下部に相談するが、時折見せる獅子折神と遊ぶ丈瑠の描写はどこか寂しげだ。獅子折神は今際の際の父が、幼い丈瑠に手渡したアイテムであることを考えると、ついその心情を深読みしてしまう。
 日下部の丈瑠を純粋に大切に思う心に嘘偽りがない事は、空っぽになってしまった丈瑠を見つけ出した事で十分に伝わってくる。日下部でなくては探せなかったろう。
 それでも、何かを失ってしまった丈瑠の心を埋める事は出来ないのだ。間違いなく日下部は丈瑠を息子のように大切に思っているにも関わらず、丈瑠を留めるには、足りない。




 大義を失い、空っぽになってしまったヒーロー。

 通常、戦隊もののクライマックスは、最強の敵が現れて、ヒーローはどう戦うのか?に焦点が絞られる。
 しかし「侍戦隊シンケンジャー」は、真と偽、光と影の逆転でバラバラになってしまったヒーローがどうなるのかが描かれた。
 血筋と伝統でつながっていた侍達が影を助けに走り、丈瑠を友と慕う寿司屋が姫に助太刀する。

 光と闇が交差して、ひとつになろうとしている。









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え、これBOXとは違うの?どうなん?

 

2010年04月09日

侍戦隊シンケンジャー・考察 其の八「義」

 「人の世を守るため」戦う事を宿命づけられた侍達。しかも、そのためには犠牲もやむなしという、どこか非人間的な選択肢すら視界にいれての戦いだ。外道衆を斬って斬って、殲滅させるまでに戦い抜く事。人を、世界を、守るために、戦いの犠牲になると言う事。確かにそれは崇高なヒーロースピリッツなのだが、一歩間違えれば外道の暗闇が口を開けている危ういバランスの上に成り立っている。
 大義のためには犠牲もやむなし…侍の家に生まれたということは、そういうことでもある。志葉家が倒れることは人類の破滅につながるからだ。

 特に影武者である丈瑠には、最初から「死」がその使命の中に織り込まれている。影武者であることが明かされ、丈瑠は侍達に「賭けなくても言い命を賭けさせた」と言ったが、それは丈瑠も同じだ。しかも志葉家当主として戦力になるため、偽物の自分のために家臣を犠牲に出来ないため、丈瑠は自分の強さを研ぎ澄ます必要があった。その姿勢は、どこか人間的ないびつさにも繋がる。終盤の丈瑠の迷いと闇堕ちは、そのバランスが崩れたためではないかと思う。
 人の世を守るために、志葉家当主としての重責を背負って飛び続ける。偽物であるがゆえに、侍達が自分を守って死ぬ事があってはならないという思いも強い。丈瑠という青年の人生は、志葉家の当主として生きる事そのものだった。
 だからこそ、影武者である事が知れ、当主としての立場と大義が失われた時「びっくりするほどなにもない」状態になってしまった。家臣や侍達が自分に仕えていたのも、定められた大義故。彼等は正統継承者である薫姫を守るために、シンケンジャーとして戦わなくてはならないだろう。丈瑠に残ったのは、戦う力と剣の腕だけだった。




 しかしそんな大義から自由な存在が、源太だ。
 シンケンジャー達にとって「人の世を守る」という大義は幼い頃から染みついた価値観であり、彼等の行動原理とでも言うべきものだ。侍の家に生まれた時点で、運命の呪縛を受けているとも言える。が、源太にはそれがない。「義」を第一にするシンケンジャーに対し、幼なじみとの約束を守るために戦いに参加した源太を駆り立てるのは「情」だ。その上で、人々を守ると言う正義を自らのものとしている。寿司屋と言う職業も戦うアイテムも、どれも志葉家を中心として成り立つ伝統とは、全く異質。しかも彼が幼い頃に実家の寿司屋は夜逃げしており、家の業とでもいうべきものからも完全にフリーだ。(唯一、源太が自分の身の振り方に迷った「加哩侍」のエピが「親の夢を叶えるために店を持ちたい」という理由だったのは興味深い)
 しかも源太は自分の思いに率直なタイプだ。だから傷ついた十蔵を斬る事が出来なかった。それは完全に情に流された状態であり、侍の決断としては間違っている。それでも、いやだからこそ、流ノ介と千明は「お前のような侍が私たちには必要なんだ」と言う。飛び入りだった源太は、いつしか必要な男になっていた。

 そして実は丈瑠は影武者だった…という秘密が明かされ、実は丈瑠と源太は同じ立場だったのだ、という事実が明かされた。このどんでん返しに、改めて源太の立ち位置の面白味にエッジが効いてくる。侍の宿命に縛られていないが故に、源太は丈瑠とともに一度は離脱しながら、逆に侍達が丈瑠に走った時は、姫のために助太刀を申し出るのだ。
 源太は色々な意味でシンケンジャーのワイルドカードだ。それは対・外道衆の戦力としてもそうなのだが、伝統や大義を受け継ぐ精神と個人の感情、侍達が葛藤する二つの相反する内面を、独立した立場と情熱で結びつける役割も担っている。姫を助ける時の「寿司屋でよければ」は本当にかっこいいシーンだし、伝統と革新、真実と嘘、全てを一つにまとめるキーとしての源太の役割が光った。




 縛りがなく自由であり、自由であるがゆえに自立している。
 そんな源太だからこそ、真実の露見でばらばらになってしまったシンケンジャーの使命と感情を、再び結びつける事が出来たのだろう。




 源太がとんちんかんな格好をして、初めて屋敷にやって来た時、丈瑠は陰で大笑いをしていた。それまで全く見せた事のなかった顔。烏賊折神を友情の証に渡した源太が、本当に自分を助けにやってきた!そして志葉家当主であり、常に殿様の顔を崩さない丈瑠に対して、あの頃と同じ「たけちゃん!」と呼びかける。
 丈瑠にとって源太は、殿様でない自分を慕ってくれた友であり、また運命に巻き込んでしまった相手でもあった。
 しかしそれは源太が自分で決意した結果だ。誰に強制されたのでもなく、幼い日の友情と約束の果てに、自ら選んだ道だった。

 だから丈瑠も受け入れたのではないだろうか。嘘の主従関係で命を懸けさせたくないと、あれほど侍達を戦いに巻き込む事を嫌っていた丈瑠。もちろん源太の事も一度は拒否するのだが、押し切られてしまった。しかしそれは意外な事ではない気がする。
 それは、そこにあったのが大義ではなく、源太の信義だったからではないか…と私は思う。
 彼が貫き通した信義は、最後まで揺らぐ事はなかった。



 だからドウコクとの決戦の時、源太は丈瑠に言うのだ。
 「たけちゃん、巻き込んでくれてありがとな」








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ド派手なデザインだわあー

 

2010年03月29日

侍戦隊シンケンジャー・考察 其の七「破天荒」

 代々、侍の一族に伝わるモヂカラ。それは家系の才能なのか、業なのか。

 「シンケンジャー」の世界は、ヒーローが社会認知されている。侍達は人の世を守るため長きにわたる戦いを続けているわけで、それも当然だろう。「志葉家の黒子さん達」は地域によく馴染んでおり、侍達をサポートする榊原のような家もある。だからもしかしたら、この世界では志葉家の生活費に税金が使われているかもしれないな、なんて思う(笑)
 人の世を守る、という大義。そしてそのために生きる家系。彼等は自分の夢や希望を棚上げにして、その命を懸けて戦うのだ。
 そして影武者である丈瑠もまた、志葉家当主の重荷を背負う。正統なる継承者を守るため、仲間の侍をだまし続け、外道衆と戦い抜くと。




 多少のいざこざはあるものの、シンケンジャー達には明確な主従関係が形成された。そこには非常にストイックで自己犠牲的な姿がある。彼等がそこにいるのは正に「伝統」であり「家系故の宿命」だ。そして物語はそのまま進行していくかに思えた。
 そこに突如としてやって来るのだ、金ピカの寿司屋が。

 梅盛源太は「シンケンジャー」の持っている世界の、言わば「家系の呪縛」のようなものからは一切自由な存在だ。受け継いだモヂカラもなければ、背負わなくてはならない大義もない。剣は我流。誰に強制される事なく、ある日いきなり勝手に名乗り出て戦いに参加してきた。
 性格は至って天然で一途。義理人情に厚くて気っぷが良くて、江戸の町人とか寿司屋ってこんなイメージだよなって感じ。喜怒哀楽もメリハリがあって、性格的にかなり流ノ介に近いものがあるのだが、純粋培養の侍である流ノ介と立ち位置は真逆だ。
 もちろん源太には燃えるような正義の心があり、だからこそ侍達に迎え入れられるのだが、そもそもの発端は丈瑠への友情だ。幼い頃に出会った同じ年ごろの男の子同士。孤独の中で修業の日々を送る友達が背負っていた、計り知れないほどの重荷。いつか自分が彼を助けるのだと、源太は心に誓い、その通りにした。
 侍達は皆、「人の世のため」家の宿命に縛られているのだが、源太は違う。源太の家は夜逃げ…つまり社会的な負債を負っていたわけで、どちらかと言うと「人の世に裏切られた」環境でもあったはずだ。そんな親のカルマから独立した立場で、自分の意思で友を助ける道を選び、剣で戦う技を会得し、モヂカラを解析して自らのものとした。

 しかし、突拍子もないところからやってきた男だからこそ、侍達は何度も助けられる。特に彼の研究開発したモヂカラ理論とでもいうべきもので、幾度も危機を救われ、パワーアップを果たした。
 私は物語を見る限り、恐らく丈瑠達が如何に頑張って戦っても、伝統を受け継ぐだけでは復活したドウコクや外道衆には勝てなかったろうと思っている。そもそも影武者が立てられたのも、シンケンジャーがだんだんと弱体化してきた事が原因だという。それが単き継がれるモヂカラが弱まってきたのか、その過酷な運命故に侍の成り手がいなかったのか、深い事情は分からない。ただ、「家」と言う閉じた環境は、進化や発展を停滞させてしまう傾向はあったのではないだろうか。そのガチガチな例が終盤の憎まれ役、薫姫の側近・丹波なのかもしれない。
 血と才能で引き継がれていくものに、外の世界の視点から理論を与える。これは非常に重要な事だ。伝統は後生大事に受け継ぐだけでは消えていく。どこかで新しい風を入れ、前進していく事で息を吹き返す。かと言って、革新という名目で破壊すると、二度と戻らない大切なものを失うのだろう。




 源太は侍達と、認めあい調和しつつ、新しい技術で戦いをサポートした。
 互いに必要だと、仲間だという意識が、シンケンジャーをさらに強くする。


 しかし源太の役目はそれだけではない。




 …すみません。源太の項は長くなるので、ちょっと分けて書きます。つづく(^^;;;









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改めて見るとすごい武器だwww

 

2010年03月17日

侍戦隊シンケンジャー・考察 其の六「洞察」

 外道衆から人の世を守るため、戦うさだめの元に生まれたシンケンジャー達。
 主君である丈瑠は、どこか腹の底を見せない印象があり、何を考えているのかは表情からは察せられない。それでも、その戦う姿勢、背負う覚悟は真摯であり揺るぎない。一見冷たくもみえる丈瑠だが、それが言葉や表情を超えて伝わるからこそ、侍達の全幅の信頼を得る。
 逆に使える侍達(含・寿司屋)は皆、それぞれ個性あふれる若者たちになっている。まるで常に殿様の顔を決して崩す事のない丈瑠の代わりに、物語の喜怒哀楽を牽引しているかのようだ。




 シンケンジャーの魅力は色々だが、先ずキャラクターの配置と描写が絶妙だったことが挙げられるだろう。敵味方含め、過不足がない。一年の長丁場の中で、丹念に描かれたそれぞれの関係の変化や思いの揺れ動き、成長。一つ一つのピースがクライマックスに向けて重なり合った。見事だなあと感心する。だからこそこんな熱苦しい長文の総括が書けたりするわけだ。
 だからこそ白石茉子については、私は最初にまず、少々残念に思う部分を指摘しておかなくてはならない。

 彼女は非常にクールな印象の登場をした。どこか一歩引いた、観察しているようなスタンス。端正な美人であることが、そんな雰囲気に拍車をかける。一見批判的に見えるのに、モヂカラや剣の修業は十分にしてきている。一方、弱っている人をほうっておけず、ギュッとしてあげたい衝動に駆られるらしい。料理をしたがる割には、その実力は壊滅的。そして戦うために彼女が『捨ててきた』と言う夢は「お嫁さん」…
 序盤に描かれたこれらの要素が、私にはどうもばらばらに感じられた。一つ一つの特徴をつなぐ「なにか」が足りず、なかなかキャラをつかめなかったのだ。で、その「なにか」が描写されたと思ったのが、第十三幕「重泣声」のエピだった。自分の特異な使命を重く受け止めるからこそ、憧れる平凡な人生。責任感の強さ故に押し隠してしまう不安。これには納得した。そしてさらに、その生い立ちが第3クール終盤で描かれた。
 これは私の個人的な印象なので異論のある方もいらっしゃると思うが、もっと早いうちに茉子というキャラが走り出せば、と思う。そうすれば、平凡な女としての幸せに執着して狂ってしまった薄皮太夫との対比も、もっと明確になったろうにと…



 そういう個人的なもどかしさもあったが、それも茉子というキャラの非常に複雑なキャラクターゆえなのかな、とも思う。

 少々言葉はきつくなってしまうのだが… 茉子は「捨てられた子」的な側面がある。
 茉子の母親は先代のシンケンピンクであり、外道衆との戦いの中で心と体に深い傷を負ってしまった。黒子として参加していた朔太郎でさえ世捨て人のようになってしまうのだから、その抱えてしまった傷の大きさ深さは如何ばかりか。そんな状態の女性が娘に修業させられるわけもなく、両親は茉子を祖母に預け、ハワイに去ってしまう。
 だから、茉子は大きな責任を背負っている。小さな女の子が、母の投げ出さざるを得なかった重責を、幼い我が身に背負うのだ。
 茉子は恐らくエゴグラムで言うところの「ACが高いタイプ」ではないかと思う。一歩間違えればアダルトチルドレンになりかねない生い立ちなのだが、そうはならなかった。彼女は元々とても強く、そして限りなく優しい女の子だったのだろう。自分を厳しい修業の道に置いていった両親を、悲しく思いこそすれ、恨むことはなかったのだから。だからこそ、母との再会に抱きあって泣く事が出来たのだ。
 自分の責任や役割を果たさなくちゃという思いと、優しさ。それは周りの人の心を細かく観察し、理解しようとする性格を形成する。それはことはのように感覚的に「共感」するのではなく、直感を元に分析・言語化するという表現に近い。丈瑠についても、恐らく背負っているものの重さを理解して、初めて共に戦う決意が出来たのではないかと思う。
 自分を偽るがゆえに苦しむ丈瑠に、気付いたのはやはり茉子だった。影武者であったと知らされて仲間達が混乱する中、丈瑠の事を思いやっていたのも、茉子だ。
 彼女は親の愛に恵まれなかったが、その悲しみに負けなかったから、人の痛みを察して、手を差し伸べる事が出来るのだろう。その人が必要とする言葉を紡いであげられる、そんな女性なのだ。




 そこで改めて気付かされるのは、丈瑠が背負い続けてきた【志葉家当主の重さ】だ。侍の家に生まれる茉子でさえ平凡さに憧れた。それこそ侍の家の生まれでもない、戦いで親と死別した丈瑠が、なぜそれほどの重責に耐える事が出来たのか。
 これはあくまでも私の私見だが、そこに父の姿が見えてくる気がするのだ。

 恐らく、その『背負い続ける』為の推進力は父の愛ではないだろうか。父(描かれていなかったが、もしかしたら母)に深く愛された記憶。その敬愛の念があるからこそ、丈瑠は【志葉家当主の重さ】を背負うが出来たのではないだろうか。
 回想で、ほんのわずかに描写されただけの父との思い出、そのシーンの穏やかさ。父が息子に背負わせたのは責任だけではない、それを受け止めるだけの愛も与えていたからこそ、丈瑠はその思い出を心の支えとして立つ事が出来たような気がする。
 丈瑠と言う青年の人生を思うと、私は非常に辛い気持ちにもなるのだが、彼が親から受けた愛情の深さは大いなる力であり、救いだったと思っている。そこを踏まえて初めて、志葉家当主として凛として立つ丈瑠の姿があり、仕える侍達との絆に繋がるのではないかと。






 決して「殿様の顔」を崩さなかった丈瑠。
 そのペルソナをはがされたとき、彼は道を誤りかけた。
 外道への闇に向かいかけた丈瑠を引き止めたのは、仲間達の絆。
 しかし嘘の上の絆は、果たして成り得るのか…

 「志葉家の当主でなくとも丈瑠自身に積み重なってきたものは、ちゃんとあるよ」

 茉子の言葉に、丈瑠は初めて、一人の青年の顔で泣く。









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茉子って元々きれいだけど、第十三幕以降、さらに美しくなった気がするんですよ。

 

2010年03月10日

侍戦隊シンケンジャー・考察 其の伍「受容」

 外道衆と戦うため、集められた侍達。それぞれ家に伝わるモヂカラだけが、外道衆から人の世を守ることが出来る。

 その使命の重さをそれぞれ深く受け止め、修練を重ねてきた彼等。だが生まれ育った環境や性格の違いから、志葉丈瑠との主従関係に対しては、反応は二つに分かれた。梨園の生まれで侍としての精神をたたき込まれた流ノ介は、大袈裟なほどにかたくなに主従を貫く。田舎育ちでどこかほんわりとした雰囲気のことはも、抵抗は全くないようだ。逆に現代っ子の千明はどこか反抗的で、茉子は一歩引いてクールに観察している。
 男二人、女二人の、それぞれの反応の違い。個性と性別が絡み合った、上手い配置だなあと思わされる。男性二人はそれぞれ、丈瑠との関係性の構築を、能動的主体的に考え行動(従うか/反発するか)している。そして女性二人は受け入れるか否か、の判断をしようとする。



 花織ことはは、非常に女性的・母性的なタイプのキャラクターだ。
 天然キャラといえばそうなのだが、同じ天然でも流ノ介が突っ走るタイプなのに対し、ことはは何でも受け入れて認めてしまう優しさがある。非常に懐深く、彼女の家に伝わるモヂカラの如く、大地のような穏やかさと包容力、温かさに満ちている。不器用で剣術と笛以外は何をやってもダメな事を、幼い頃は馬鹿にされたり責められたりしていたようだが、そうした自分の弱さすらも受け入れる、しなやかな強さを持つ。
 逆に言えば…少々言葉はきついが…あまり知的なタイプではない。理屈を言ったり、気の利いた言葉を発したりは出来ない。むしろ言葉そのものより、その笑顔が彼女の素直で優しい心を表現しているなと感じられる。
 ことはは自分をよく知るが故に、出来る事を精いっぱいやろうと誓って志葉家に仕え、シンケンジャーとして戦う。戦いにおいても生活においても、我を張ることはない上に、下手に理屈や理由をこねたり賢く立ち回るタイプでもない。だから多少のコンプレックスはありつつも大きな葛藤はなかった。それが逆に彼女の自立性に疑問を抱かせたりもするが(「殿執事」)、決して愚かではないのだ。彼女はシンケンジャーの中でも愛されキャラであり、癒し系だった。

 そんなことはが、唯一深く葛藤したのが、終盤も迫った頃に描かれた姉とのエピだろう。ことはの「出来ない自分」コンプレックスと「姉の代わり」としての自己アイデンティティ。その曖昧で頼りない自我の揺らぎを、彼女は【甘え】と言った。「もうお姉ちゃんの代わりって言わへん。それも甘えだって分かった」…出来ない自分に対して、「姉の代わりだから出来ないんだ」と、無意識に責任転嫁している事に気付いたのだ。
 しかしこの洞察は、かなり深く自分の弱さを見つめていないと出来ないだろう。しかもこのセリフを言いきれるだけの説得力がキャラクターにないと、上辺だけの言葉に感じて胸に響いてこない。決して知的で雄弁な女の子でないからこそ、彼女の決意や言動に重みがある…そんな風に感じられたのは、キャラと役者が見事に一人の女性像を作り上げていたからだなと思う。

 そしてこの話は、十臓に己の弱さを見抜かれ、迷ってしまった丈瑠の復活エピでもあった。見ていた当時は「なぜここで丈瑠が復活するのか。いったい何を彼は迷っていたのか」十分に描写されたと思えなかった。しかし、今ならそれが分かる気がする。
 殿様の変調に、なんの助けにもならないことを思い悩むことはと日下部の会話を、影から聞いてしまった丈瑠。あの優しく可愛らしいことはが、姉の代わりとしての自分の至らなさを悩み、自分の事を心配してくれている。「もっともっと頑張らな」と決意している。「姉ちゃんの代わり」のことはと、「志葉家十八代目の影武者」の丈瑠。自分が背負うべきは、もっと重いものではなかったのか。中途半端な覚悟ほどみっともないものはない…
 丈瑠は密かに己の役割と、ことはの立場を重ね合わせていたのではないか、と私は思う。




 覚悟を新たにし、その重責を改めて負った丈瑠。
 しかし、本来の志葉家十八台目当主である薫姫の出陣に、その覚悟すらもお役御免となる。影武者として生きる事を運命づけられた日から今まで、積み重ねてきた当主としての自分。それはすべて偽りであると白日の下に晒された。
 戦う理由も、覚悟も、仲間も。全てを失ってしまった丈瑠。そして呟くのだ。

 「俺は殿様じゃない自分は初めて見た…びっくりするほど何もないな」


 どんなときでも笑顔で自分のすべき事を受け入れ、従ってきたことは。
 この一年で、その素直な性格そのままに、侍として大きく成長してきた。
 しかし薫姫とともに出陣したことはは、外道衆との戦いに勝って、でも心の中で叫ぶ。

 「違う…こんなん違う…殿様!」
 







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2010年03月03日

侍戦隊シンケンジャー・考察 其の四「自由意思」

 主君と侍。その血筋に脈々と伝えられるモヂカラ故に、外道衆と戦う事を運命づけられた家と、選ばれた若者たち。
 シンケンジャーは明確な主従関係で結ばれており、戦隊ヒーローとしてはかなりイレギュラーな存在だ。番組の顔とも言えるOP画面でも、戦隊の華である名乗りでも、殿であるレッドのそばに控える四人の姿が映し出される。
 スーパー戦隊シリーズというのは、毎年毎年さまざまなモチーフが使われる。忍者も刑事も魔法使いも何でもアリだ。だから今更、チャンバラや侍が取り入れられても不思議ではない。しかしヒーローとしてはまず「チームありき」のスーパー戦隊に、この「殿と家臣」というハッキリとした上下関係を、ここまで設定として組み込んできた事はないだろう。
 しかもそれが単に、シリーズの差別化としての設定ではなく、ドラマの中で大きな意味を持っているところが、この作品の妙味だ。また人物の立ち居地には一切の無駄がなく、その中心に主君であり、物語の主人公である丈瑠がいる。
 が、彼の表情は常に、硬い…




 丈瑠の元に集まった四人の侍。互いにその存在は知っていても、実際に対面したのは、第一話のあの時だ。生まれも育ちも別々で、主君からの呼び出しへの反応も様々な、個性豊かな若者たち。

 その中で谷千明、という青年は、最初はひねくれたタイプに見える。特に丈瑠を「殿」として仰ぐ事に反抗するのだ。
 では、彼は本当にひねくれ者かというと、そうではない。人を守って戦う自分の使命には真っ直ぐだ。屋敷を飛び出し、昔の友達と再会したときでさえ「(今の特殊な状況に対して)納得はしている」と話している。外道衆に苦しむ人々や、共に戦う仲間を見捨てる事も、決してない。
 むしろ彼は、未熟さはあるが至って素直で明るい熱血青年で、性格的には主人公タイプだと言っても良い。クルクルと変わる表情や、ユーモラスな言動も好感度が高い。そしてもう一つ踏み込んで言えば、彼は如何にも「現代的なヒーロー像」として描かれているのだ。物おじしない明るさ、強い正義感と使命感、戦う仲間、そして戦士として男として超えたい相手。千明のエピに良作が多いのは、成長するヒーローとして相応しいキャラクターを持っているからだろう。

 キャラの立ち位置としては、千明はこの時代錯誤な主従関係を軸としたストーリー展開に、伝統に批判的な現代の若者の視点を加える事で、自然と視聴者を作品世界になじませる意図があったのだろう。それはそれとして、改めて考えたい。千明はなぜ、反抗したのか。
 恐らくそれは千明が「家や運命に決められた」のではない、「自分の価値観」で納得したかったからではないか、と私は思う。千明は、至って自由で現代的な感覚の持ち主、簡単に言えば個人主義的なのだ。彼は戦う事には納得していても、誰かに従う事に同意しているわけではない。その誰かが、何を考えているのかよく分からない、とりすました若者ならばなおのことだ。
 千明の主君であり、この物語の主人公である丈瑠は、常に冷静沈着。余計な事は言わず、ものの言い方一つ一つも淡々としている。眼差しはきつく表情も変わらず、序盤は笑顔すらほとんど見られない。どこか侍たちには壁を作っており、皆より一段高い位置に座る、あの座敷そのままの態度を崩す事はない。まさに千明と真逆のタイプで、親しみやすさからは程遠い。完全に自由な個人としての自分を殺し、大義のために生きているのだ。
 そんな丈瑠に従う事を、千明は「俺より強いから、超えたい」という理由をつけて納得する。丈瑠の剣の腕はもちろん、侍としての心得の全てが、自分より遥か上のレベルであると認めたからだろう。そして彼の成長とともに、自然と丈瑠への態度は改まる。相変わらず「丈瑠」と呼び捨てにするし、平気で上座に座ったりもするが、シンケンジャーの侍の一人として、立派に役目を果たすようになる。





 丈瑠は確かに表情は硬く、態度は崩す事はない。しかし殿様という威を振りかざす男ではなかった。その言動の全ては、比類なき覚悟と強さを以て、志葉家当主として立つが故だった。
 真実が明るみに晒され、立場が変わってしまったとしても、それになんの意味があるのか。
 確かに嘘はついていたろう。しかしそんなものは、一発のパンチでチャラに出来る、その程度のものでしかない。



 「強いから従う」のではなく、もちろん「殿だから」でもない。
 「丈瑠だから」千明は一緒に戦ってきたのだから。








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2010年02月22日

侍戦隊シンケンジャー・考察 其の参「至純」

 「志葉家当主の重みを背負って飛び続けろ」
 人の世を守る。その重く辛い使命を幼い息子に託し、逝かなくてはならなかった父。その無念と決意を受け止め、影武者としての人生を歩んだ丈瑠。友との約束を果たす為、時に優しく時に毅然と、当主としての心得を教え導いた日下部。そしてついに丈瑠はその強さ・意思・器量いずれも、志葉家当主としてふさわしい青年に成長した。
 自分の業に他人を巻き込むのを嫌い、孤独の中で戦ってきた丈瑠だったが、ついに四人の侍たちが集められる日が来る。男性が二人、女性が二人。いずれも全く別の家で育った、個性も価値観も異なる四人だ。
 当主と四人の侍。一人として同じ個性のキャラクターはいないのだが、それぞれの丈瑠との対比が非常に面白い。「侍戦隊シンケンジャー」という物語に描かれた、戦隊ヒーローとしての丈瑠の生き様を読み解くため、侍一人一人にスポットを当てていく試みをしたいと思う。

 まずは、男性キャラから始めたい。流ノ介と千明。彼等は非常に対照的な二人だ。方や堅物の極みであり、もう一方はどこか自由気ままな性質。序盤は流ノ介の天然バカっぷりで笑わせ、千明の丈瑠への反発が物語を引っ張った。
 やはりここは、シンケンジャーの二番手、池波流ノ介からキャラ考察をしていきたい。




 流ノ介は、印象としてとにかく「まっすぐな男」だったなと思う。侍の家系であり梨園の生まれ。四人の中でも最も「侍」であり、ガチガチと言ってもいいほどの堅物。基本的な性格も、純粋無垢なのだろう。その上、家もその使命に厳格であり、侍としての技や心得をたたき込まれていたようだ。
 ファザコンと揶揄された流ノ介ではあるが、第一話の舞台の上での父親との会話を見た限り、父に対する敬愛の念が見える。彼の迷いのない忠義の心は、父より受け継いだものなのだろう。
 寿司屋の源太が参加したとき、そのきっちりとした生活ぶりが描かれたが、ちゃんと歌舞伎の舞の稽古までしていたのには驚いた。侍たるもの、規則正しく生活する。稽古は欠かさず、常に精進。自分の立場をわきまえ、お仕えする殿には絶対服従し、自分の命に代えても守る。が、時として必要ならば殿の過ちを正そうとするのもまた忠義。
 かなり天然でおまぬけな面を持ちながらも、そういう日ごろの生活と、丈瑠に継ぐ剣の腕で、周りの仲間はもちろん丈瑠からも一目置かれていた。天然馬鹿と実力者という正反対のイメージが、ひとりの人間のパーソナリティとして成り立っている。これはキャラ立ての上手さと、それを支える役者の演技があってこそだろう。

 そんな流ノ介の親子関係を見ると、どこか丈瑠のそれと重なる。丈瑠が学んだのは逆に帝王学なのだろうが、自分を導く父性に対して、強い使命感と熱意を持って我が物とした姿勢は、似ている。ただ違うのは、丈瑠は影武者ゆえにその立場をかりそめのものと捉えているのに対して、流ノ介は純血種である分、自己同一化しきっている点だ。
 それ故に、ヒーローとしてよくある変身するときの「戦いの決意」が必要なかった。人の世のために戦い、殿をお守りする。それが彼の行動原理にしみ込んでいるからだ。だから序盤の舵木折神のエピで、謎の男に「それは刷り込みじゃないのか?」と問われるまでは、なんの疑問も持たなかった。改めて自分の心に問うた流ノ介は、自分なりの答えを出す。「この殿なら命を預けて戦う事が出来る」と。

 流ノ介が出したそんな答えを導き出せたのも、自分の意思で主を選ぶ事が出来たのも、すべて丈瑠の戦う姿勢に偽りがなかったからに他ならない。
 丈瑠の「殿」としての在り方、剣の実力、戦いへの強い意志は、影武者という嘘の上に成り立っていたものだろう。しかし、背負い続けた志葉毛当主の重みに偽りはなかった。心の底まで純血種の侍である流ノ介が、これほどまでに心酔できる主。それが丈瑠だったのだ。

 幼い頃からたたき込まれた侍としての心得。その滅私の心は誰もが認める男、流ノ介。
 しかし、その前提である主従関係が崩れ去り、本当の主君の存在を知った時、流ノ介は葛藤するのだ。滅私奉公。自分のすべき事に選択の余地はないはずなのに、と。そこで再度、あの男が問う。おまえが命を預けたのは、器なのか、中身なのか?




 彼は誰よりも純粋で、誰よりも強い意志で【侍】として生きていた。
 そんな青年が、影を助けに走る。
 執着の炎が渦巻くその向こう、まっすぐに丈瑠に向かって開かれた道の先に立っていたのは、確かな光をその目に宿した、決してここに来ないはずの流ノ介だった。







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2010年02月15日

侍戦隊シンケンジャー・考察 其の弐「異分子」

 シンケンジャーは、ヒーローの血筋を受け継いだ家の若者が戦う物語だ。だが実は、そこに最初から異分子が紛れ込んでいるという、かなり複雑な設定になっている。
 全員の力を一つにして敵を倒すのがセオリーの戦隊ヒーローでありながら、最終決戦の鍵を握るのは志葉家当主であるレッドだけ。それだけでも大いにパターン破りなのに、彼は偽物であったという驚きのどんでん返し。
 何故そんな設定を思いついたかは、スタッフのインタビューなどで語られているかもしれない。しかし私は余りそう言う類のものを読んでいないので、もしかしたらこれから先で書くことに見当はずれな内容もあるかも知れない。ただ、単純に一年間この特撮作品を見た上での印象なので、ご容赦下さい。




 いきなりの「本当の志葉家十八代目当主」の登場には唖然としたものの、この「丈瑠は実は影武者」という設定は、最初から巧妙に物語の中に織り込まれているのに気付かされる。
 一番分かりやすいのは、物語も序盤に出てきた「嘘つき!大嘘つき!!」に強いダメージを食らうシーンだろう。一体これはどういう意味なのか、何か理由があるんだろうなと思いつつも、その後ずーっと放置。志葉家代々を祭った立派なお墓の他に、小さな墓石に手を合わせていた丈瑠のシーンも、何も説明のないまま放置。仲間とのつながりが強くなったなと思っていたら、いきなり十蔵に弱くなったことを指摘され散々悩んでいたのにも関わらず、立ち直ったというより棚上げにされて放置… 心の中に少しずつ放置された「?」は、実は全て伏線であった。
 実は私は、この辺の伏線ついては、子供番組であるが故に、伏線なのか曖昧なまま処理されているのか分からずにいた。特に丈瑠の父の最期のシーンと、シンケンレッドが最期の力を振り絞ってドウコクにダメージを与えるシーンが、矛盾していることを指摘しなかったのは失敗だったと思っている。「なんだ、炎の屋敷の中で死んだはずなのに、コレじゃ矛盾しているじゃん」と思っていたのだが、多少の描写のおかしさをつい大目に見てしまっていたのだ。このシーンは決して矛盾しているのではなく、やはり伏線だったのである。

 丈瑠は「人の世を守る」という大義を背負って、影武者として当主の座に着いた。彼のモヂカラの才能故のことだ。それも本来の継承者である薫姫を敵から守るため。彼の生きて戦う理由は大義こそ全てであり、酷い言い方をすれば「捨て駒」としての役割でもある。丈瑠が背負い続けなくてはならない使命とは、「人の世を守るためなら死もやむなし」という重荷だ。
 幼い内から刷り込まれる自己アイデンティティに、最初から死の影が差している。大いなる使命を果たすためには、自分自身として生きることは二の次なのだ。十蔵の指摘した「いびつさ」はそこから来ているのではないだろうか。また、自分が偽物であるが故に、家来となる侍達を巻き込むのを嫌った。
 逆に、ジィである日下部は自分のことを知っている。幼い頃から自分を教育した、言うならば身内だ。だから日下部が年に一度、家族との対面する日をもうけていたのに、戦いのために諦めざるを得ない状況でも「そういうものだろう」という理由で、今までなんとも思わなかった。
 しかし、それが変化したのである。孤独の中で戦い続けてきた丈瑠が、仲間の侍に心を開きはじめ、「たけちゃんの為に」と駆けつけてくれた幼なじみと再会し、多くの敵を相手に共に戦い抜いたことで。
 しかしその変化をもたらした「信頼関係」は、出自の嘘の上に成り立っていた。十蔵に自分の「いびつさ」を指摘された瞬間に、恐らく丈瑠は本質を見抜かれていることに気付いたのだろう。だからこそ「弱くなった」と言われたときに、侍達との信頼関係に甘えてしまっている自分を見抜かれたと思い、元来その価値がないことに苦悩した…のではないかと、私は解釈している。



 逆に侍達は、純血種であるが故に、個の思いと家の使命との間で揺れ動く。その一人一人と丈瑠との対比が、またこの物語の面白いところだ。
 この辺についてもうちょっと突っ込んで書きたくなってきたので、つづく(^^;;;







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2010年02月09日

侍戦隊シンケンジャー・考察 其の壱「子供番組」

 先日、2009年スーパー戦隊シリーズ、「侍戦隊シンケンジャー」のTVシリーズが終了した。現代を舞台に、時代劇を思わせる設定、そして特撮の奇想天外をミックスさせた、興味深い物語だったと思う。
 最初に言っておくと、私はこの一年、とても楽しんだ。涙もろいのもあって、何度も目頭を熱くさせられた。勿論、所々に思うところもある。が、それを差し引いても、お話として面白かったなあと思わされた。要は、私的に結構ツボだったわけだ。だから多分、この総括も肯定的な内容になるだろう。
 以下、思うままに書き連ねていこうと思う。




 さて、総括をどこから書こうかと頭を悩ませ、パッと思い浮かんだ「シンケンジャー」の作品の印象は「なんと深刻な物語だったことよ」だった。

 代々伝わる戦いの系譜と主従関係。身の毛もよだつ恐怖をもたらす闇の存在との戦い。若者達は自分の置かれていた状況も願望も投げ打って、その身を戦禍に投じなくてはならない。彼等が背負った運命故の苦悩… 有り得ないほどストイックな戦隊だ。いやむしろ、「戦隊モノだから」娯楽作として楽しめるのであって、その派手さとケレン味が、この重い内容を中和させていると言ってもいいのではなかろうか。
 しかも戦隊の中でも華であり、リーダー格であるレッドが、他のメンバーより格上の殿様である、という設定。この明らかな力関係のヒエラルキーは、戦隊としてはかなり特殊だ。しかも、敵の大将を倒せるのは志葉家当主のレッドのみというのも大胆な設定だろう。戦隊と言えば、全員が協力して最大の敵を倒すのが醍醐味でもあるのだから。
 その上に、その当主である青年・志波丈瑠は影武者だったという、根底を覆す展開が物語の中に織り込まれていた。さすがにこの展開には驚かされる。思わず物語に引きずり込まれてしまって、次がどうなるのか画面に見入ってしまった。



 さて、ここでひとつ、誰もが思う疑問がある。
 子供達って、ついて来られたのか?この展開に。
 いや、ストーリーなんて子供は余り気にしていないことが多い。しかし主人公が自己否定感に苦しむという、こんな重い展開、子供達に相応しかったのだろうか。



 当たり前なのだが、特撮作品は子供番組だ。特に戦隊モノは、ライダーに比べて低年齢層が主なターゲットになっている。
 私は個人的に、特撮が子供達の為に作られた映像作品であることは、とても重要なことだと思っている。子供達に語りかけるお話としての、正義のヒーロー。あなたは幼い子供達に、生きることの悲惨さや苦しさを描いた物語を話して聞かせたいだろうか?人生のスタートに出会うお話として、欲望に溺れて自滅していく愚かさや皮肉を贈るだろうか。多分そんな人はいないだろう。
 それ故に、特撮作品には高度なヒューマニティーが描かれていることが多い。相対論で考えてしまえば正義も悪も分からなくなっている現代だが、それでも愛と善の心は確かにある。正義だってあるだろう。そこをきっちりと描くことは、子供向け番組の矜持と言ってもいい。(←ここについては2008年05月23日『子供向けであることの素晴らしさ』の日記も、良かったら読んで下さい)
 戦うことで、日常を犠牲にしなくてはならなかった家臣の侍達。主君に命を預ける、ギリギリの攻防戦。しかもそのヒーローが偽りの存在であった、という驚くほどのどんでん返し。子供向け番組としてのヒーローものなら、いくらでも明るい作品にもしようがあるというのに、この重さ!ああ、私は面白かったよ?でも親として考えてしまった。「侍戦隊シンケンジャー」って、子供番組としてはありなんだろうかと。

 色々と考えたが、やはり「ありなんだろう」というのが、私なりの結論だ。

 確かに苦悩もするし葛藤もあった。描写の中に巧みに虚実も入り交じっていた。しかし、葛藤も嘘も全てが「外道衆から人の世を守るために」という、只その一点のために紡ぎ出されたものではないだろうか。
 そこには底抜けの明るさや楽しさなどはないかもしれない。しかし揺るぎない正義がある。
 流ノ介は歌舞伎役者としての舞台を降りてまでも、千明は性に合わない主従関係を受け容れつつも、茉子は平凡な女の子としての生活と親の愛に飢えながらも、ことはは優秀な姉の身代わりとしての不出来な自分にあらがいつつも、侍としての戦いをやめることはなかった。すべてが人の世を守るため。それは家臣も黒子も変わりない。
 そしてそのモヂカラの才能故に、志葉家当主という名を背負う影武者として選ばれた、運命の子・丈瑠。幼い息子に過酷な試練を与えなくてはならなかった父も、その父の意志を継いで当主としての教育を施さなくてはならなかった日下部も、その使命の大切さを誰よりも理解していた。志葉家当主の重みを背負い、飛び続けろ…その言葉の裏に、どれ程の思いがあったろうか。
 「人の世を守る」という重み、それは確かに丈瑠に伝わり、それ故に彼は戦い続けたのである。元来はしなくてもいいはずの戦いを戦い抜き、つかなくてもいい嘘をつき、仲間達に賭けなくてもいい命を賭けさせたのだ。




 シンケンジャー達の行動は、ある種の自己犠牲のように見える。が、その根底に流れる精神は、「この世を守る」というヒーロースピリッツである。
 その一点で、私はこの作品は子供番組として、ありなのではないかと思うのだ。



やっぱりまとまらなかったので、つづく。







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ひっとのたーめにつーよく たたーかうきもちー♪