2008年12月09日

ウルトラマンメビウス考・8 貫かれる光

 テレビシリーズとして、ウルトラマンが私達の前に姿を現して40年。その勇姿に胸を熱くした子供達は、すでに不惑である。その間に多くの子供達がこの世に生を受け、ウルトラシリーズは継続されていた。
 世代によって「僕たちのウルトラマン」はそれぞれだが、そこに継承されてきた光の遺伝子は変わらない。



 一方「ウルトラマンメビウス」という世界でも、地上にウルトラマンが降り立ってすでに40年が経過していた。
 新たにやってきたウルトラマンを懐かしがる世代。写真や映像、大人の話の中にだけ聞き知っていたウルトラマンを自分の目で見て喜ぶ世代。ウルトラの父を見上げ「俺が子供の頃に見たままの姿だ!」と感激して息子に話す父親。「ウルトラマンは負けないよね!」と言う娘に頷く母親… 人類がウルトラマンに、ウルトラ兄弟と呼ばれる存在に託す思いは受け継がれ、また新たな伝説を作っている。

 そして彼等が知らないうちに、ウルトラの星の光の戦士達は、空白の時も密かに地球を守っていた。太陽系の外で宇宙からの脅威と戦ってくれていたゾフィー。己のウルトラマンとしての力を失いつつも、静かに地球人として生きながらヤプールの封印を見守っていた四兄弟、後進を育て宇宙を警備する役割を担っていたタロウ達。彼等の愛は絶えることなく注がれていたのだ。
 そのことに気が付き「ウルトラマンの心に応えたい」と願ったサコミズ達と、「ウルトラ兄弟達が命を賭けて守った地球で自分もその心を受け継ぎたい」と思ったメビウス。二つの思いがリンクして、この地球に再びウルトラマンが光臨した。

 私は前回のメビウス考で、「継承」されることが大事であるという話をした。種の財産としての「より善き魂」を次の世代に伝えることは進化に不可欠だ。ならば、「ウルトラマン」の世界でも、ウルトラの力と光の精神は、いつかどこかの星の人々に受け継がれなくてはならないはずだ。彼等の光が共鳴を呼び、受け継がれ、広がってこそ、本当の宇宙の平和が訪れるのではないだろうか。
 昔、ウルトラの星の人々は地球人と同じ人間だった。今、地球から見えるそウルトラの星の輝きは、まだ彼等が人間だった頃のものなのだ、とミライは言う。
 私はこのエピを見た時、「もしかしてウルトラの星の人々は、地球の人類に、ウルトラの力の継承の可能性を見ているのかもしれない」と感じた。ウルトラマンと地球人、出会いは偶然だったろう。しかしウルトラ兄弟達は、その中にある光の遺伝子の可能性を見出し、まだ未熟で拙いが真善美の種が埋め込まれた人類の心を愛したのではないか。「彼等はまだ幼い子供のようであり、守るべき存在であるが、いつか我々と肩を並べる日が来るだろう」と。
 そして人類は、己の力で冥王星のゾフィーと出会い「ついにここまできたか」と言わせた。共に戦う力はまだないが、せめてウルトラマンの心に応えようと決意した人々。「ウルトラマンメビウス」の最終回には、人類が幼くも精一杯の力で、ウルトラマンと共に戦う姿が描かれたと思う。



 現実に生きる私達と、ドラマの中で生きている人々、そしてウルトラ兄弟。それぞれに伝えられていた光の遺伝子が、ドラマが進行することで貫かれてゆく。

 最初は精神的な弱さを見せたメビウスは、多くの戦いや交流を通じて本当の強さを自分のものにする。人類の脆さや醜さ、優しさや美しさを受け容れ、そのまま愛せるウルトラマンの心を継承する。
 そしてメビウスやウルトラ兄弟達の戦いを通して、ドラマの中で人々は変わっていった。危機的状況にエゴをむき出しにするのではなく、彼等の光を信じることを選択出来るようになる。
 そんな「ウルトラマンメビウス」という物語を通じて、私達の胸の中に溢れる思い、親子や友人同士で交わす会話、その中に光の遺伝子が潜んでいる。




 ハヤタは言った。ウルトラマンは神ではない。
 ではなんなのか。

 私達にとって、ウルトラマンは、ヒーローなのだ。

 もしも神ならば、人は祈るだろう。願いをかけるかもしれない。懺悔し許しを請う人もあるだろう。
 しかしウルトラマンは神ではない。ヒーローである。ヒーローと神との決定的な違い、それは【憧れ】だ。

 どんな脅威にも屈せず、決して諦めず、最後まで戦い抜く光の魂。私達はそれを見て憧れの心を抱く。かっこいい!なんてすごいんだろう!僕も、私も、ああなりたい。ウルトラマンになりたいと。
 【憧れ】は、それを胸に抱き続ける限り、いつか、その姿を自分のものにすることができる。
 物語を超え、世代を超え、私達には光の遺伝子が貫かれているのだ。それは憧れの形で、いつも共にある。


 ウルトラマン。私達の胸に輝くその名前は流星の形をしている。





ウルトラマンメビウス考・終


 長々と読んでいただいて有難う御座いました。




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個人的ベストエピはレオのかなあ…


 

2008年12月02日

ウルトラマンメビウス考・7 光の遺伝子

 ウルトラマンのヒーローショー。
 舞台の上で繰り広げられる光の戦士達の闘いを見守る沢山の親子。子供達の「がんばれーーーーっ」の声援の中、立ち上がるウルトラマン達。そこに満ちていたエネルギーを思い出すと胸が熱くなる。
 すぐ側で見守る子供達の声援に、かつての自分が重なる。呼び戻される。そしてあの頃のときめきが、確実に今の子供達にも継承されているのを肌で感じられた。




 少し話がずれるけれど、「ウルトラマンメビウス」という作品を語る上でどうしても必要なので、ここで書いておきたいことがある。



 私は2005年の東宝作品「超星艦隊セイザーX」を見て以来、ひとつ気になっている言葉があった。
 それは【継承】だ。

 現在子供のいる人、いない人に拘わらず考えてみて欲しい。もしも一人の人間を育て上げなくてはならないという状況になった時、あなたは子供に何を伝えようとするだろう?人は社会の中で生きなくてはならず、生き残るための競争は厳しく、彼等の未来は決して平坦ではないことをあなたは知っている。それを総て承知した上で、新たに生まれてきた魂に、あなたが彼等に与えるものはなんだろうか。
 人の心は複雑なので、決して教科書通りの子育ては出来ない。しかし敢えて理想を言えば、自分が経験の中で得た、最も「よいと思うもの」を与えようとするのではないだろうか。
 実はそんなことは人が考えるまでもなく、生命の神秘の中に埋め込まれていることでもある。地球上を生きる生き物にはすべて「遺伝子」があり、そこには多くの情報が伝えられている。遺伝子に伝えられた情報を元に、生き物はこの世界で「よりよく生きる」為に進化し続けてきた。更に人は言語を使うことで、その情報伝達を世代単位で効率よく行えるようになったわけだ。

 どんなに素晴らしい情報でも、一人で独占していてはなんの意味もなさない。情報は共有し、継承され、人々の間で世代を超えて伝わってこそ、その輝きが増す。最初は単なる突然変異でも、伝えられることで種の財産になる。それは進化の法則だ。そしてそれは逆に他方に影響を与えはじめる。
 様々に変わっていく環境の中で、確かに伝えられていくなにかが、逆に世界を変えていくのだ。



 私は前回、「ヒーローとの出会いは胸の奥で輝き続けている金字塔」と書いた。悪と戦うヒーローの姿。そこに描かれるヒーロースピリッツは、人が持ちうる最高度に高められた善意の魂であり、ヒューマニティーの結晶とも言える。それは個人にとって、(気付いているかいないかは別として)魂の宝石のような存在だ。が、反面それは個人の閉じた世界に限定されてしまう。
 そしてそれは、単なる懐かしい想い出になってしまうのだろうか。人の記憶は曖昧で不確か。その上、いつかはヒーローを「卒業」してしまい、その頃の思いを忘れてしまうことが多い。確実に次へと伝えられるバトンがなくてはならない。

 そう考えた時、私はウルトラマンというシリーズに深い敬意を抱かずにおれない。

 途中のブランクがありつつも、40年という長きにわたり製作し続けられている偉大なる特撮シリーズ、ウルトラマン。
 必要最低限の「縛り」「型」を持ちつつ、時代の流れの中に対応して新しく作り出され、でも誰もが一目でそれとわかる勇姿。スタイルや設定は変わっても、そこに継承され続けている「光の遺伝子」は、変わらない。それを受け取る私達にも、それは互いに共鳴しあい、広がりをみせているはずだ。

 「ウルトラマンメビウス」の中で、メビウスが伝えてくれたウルトラ兄弟達の光の意識。
 もしかしたらそれは、現在の日本の総人口の半分以上に伝えられているかも知れない。これはすごいことじゃないか?




 人は遠い未来、ウルトラマンに近付けるのか。それとも侵略宇宙人になってしまうのか。それは誰にも分からない。
 しかし私達は、ウルトラマンに出会えた。そして「ウルトラマンメビウス」の物語の中で、彼等の人類への愛は決して途切れたことがないことを知らされた。
 人はそれに応えていくべきなのだろう。



次でやっと終了です…




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2008年11月25日

ウルトラマンメビウス考・6 「俺達のウルトラマン」

 ウルトラマンメビウスが終了して少し立った後、「ウルトラマンプレミアムステージ」を観に行くことが出来た。とても良いステージで、ヒーローショーとしては上質な作品ではなかったかと思う。
 会場は親子連れで一杯。目の前に現れたウルトラマン達に、誰もが目を輝かせていた。
 舞台には初代のウルトラマンからメビウス・ヒカリまでのウルトラマン達が勢揃い。平成ウルトラマンも登場。メビウス本編では名前しか登場しなかったウルトラマンキングも重要な役所で美味しいところをさらっていった。勿論怪獣も、昭和から平成までありとあらゆる有名どころが戦う。


 彼等が目の前に現れると胸が高鳴るのが分かる。
 あの時に見た、あのウルトラマンが。あの怪獣が。


 ふと、私は「ウルトラマンメビウス/思い出の先生」の中の、

「ウルトラマン80だ!俺達のウルトラマンだ!」

 というセリフを思い出した。
 この年の「日本オタク大賞」に輝くだけあって、このエピは非常に感動的な物語だ。その点について、私がまた言葉を重ねる必要はないだろう。「ウルトラマン80」をファンも納得する形で補完出来た…いやむしろ、ファンが涙して喜ぶ作品であったといえる。
 それはある意味ピンポイントでマニアックであるとも言えるだろう。名作であることに異論はないが、大河的に見てこのエピは、どちらかというと「番外編」でもある。「メビウス」の世界では語られたことのないマイナスエネルギーという設定が、この話にだけいきなり現れるのも不自然。「80」がなんなのかすら知らない子供達にとっては、物語も少々説明不足で、ホーの出現の意味など「Webメビナビ」でも読んでもらわないと理解出来ないのではなかろうか。



 しかし大人にとっては、この作品は「80」を知らなくても感動出来る普遍性も持っているのではないかと思う。思い出の中に生きているヒーローとの再会。ウルトラマンという作品が重ねてきた40年という年月が、誰の胸の中にも「俺達のウルトラマン」が生きている。
 人生の一時期をヒーローと共に過ごし、その後年を経て自立して、大人になった少年少女達が再び出会う輝ける勇姿。
 「ウルトラマンメビウス」の物語を追いながら、私達は再会する。テーマ曲と共に現れるウルトラ兄弟。ドキュメントとして記録されている怪獣達。基地に飾られている機体の模型。それらが物語の中に「存在している」ことで、自分の胸の奥に輝いていたなにかを肯定されるかのようなこの感覚。
 ヒーローに再会出来る歓びというのは、言葉に代えられない思いをもたらしてくれる。大人になった生徒達が、廃校寸前の校舎の屋上で、ウルトラマン80に向かって手を振る。そのシーンを見ながら、「よかったな」と感じながら、私達もその思いを共有していた。




 そうしたウルトラ兄弟の世界への思いが、やはりスタッフサイドにも大きくあったのだろう。「メビウス」は当時の作品を強くリスペクトしていた印象が強い。
 細かい設定・描写や、音楽の使い方など、その点に付いては私よりずっと詳しい人が多いだろう。でもそれらが世界の中に上手く“馴染んで”おり、旧作を知らない子供達にも自然に世界に入れるように出来ていたのは特筆に値すると思う。それもこれも25年というブランクが、ウルトラ兄弟の世界観を【伝説】レベルにまで昇華させていたお陰かも知れない。

 その中でもウルトラマンレオが登場した一作は、「メビウス」のエピのひとつとして、そしてレオというウルトラマンの物語としても、とても良くできたエピだったのではないかと思う。
 また「80」と並んでオリジナル作品の補完的色合いが強いと思われるのが、エースの活躍する「エースの願い」だろう。ラスト数分の星児と夕子の会話。ほとんど本編には関係ない番外のようなこの数分間ではあるが、本当に美しいシーンであったと思う。

 メビウス考としては蛇足になってしまうけれど…
 私はこの二人の再会のシーンには、近年よく見かける過激なエロスの描写とは真逆を行く、崇高な繋がりというのを感じた。スーパープラトニックとでも言うべきだろうか。二人が微笑んで手を重ね合わせるシーンの前には、LOVEという言葉すら陳腐に感じる。





 今の子供達が大きくなった時、彼等はもしかしたら、子供の頃に夢中になってみたヒーローの姿なんて忘れているかも知れない。覚えていても、“あんな下らないモノをよく見ていたなあ”程度に思っているかも知れない。
 しかし間違いなく、彼等の胸の中でヒーローは生きている。それは胸の奥で輝き続けている金字塔だ。それを気付かせてくれた「ウルトラマンメビウス」に、私は深く感謝している。
 そして出来るなら、彼等にヒーローとの再会の機会が与えられますようにと願わずにいられない。



 まだ続く(笑)長くてすんまそん。






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「ウルトラの奇跡」はネ申曲。

 

2008年11月18日

ウルトラマンメビウス考・5 世代

 冥王星軌道上で光の巨人に出会った男、サコミズ。彼の思いがGUYSを作り、メテオールという技術に繋がり、それがドラマの礎となった。
 彼は元々科特隊の隊員であり、ウルトラマンが初めて地球に光臨した頃の時間を、思いを、そのまま現代に引き継いでいる人物でもある。その間、40年。「ウルトラマンメビウス」という物語を思う時、この時間の長さを感じずにはいられない。



 科特隊を初めとする、ウルトラマンと共に戦った仲間達。彼等の思いがGUYSのそれに劣っているとは決して思わない。彼等はそれぞれ熱い心で地球の平和を守り、ウルトラマンとの共闘を果たしていた。その中で、自分たちの超えられない領域で戦う光の巨人達に対する思いも大きかったろう。
 その中で何故、GUYSはウルトラマンメビウスとの特別な絆を持つことが出来たのか。正体がばれた人間体のミライを仲間としてそのまま受け容れ、最終回では共に変身を為し得たのか。
 ひとつはこのメビウス考で最初に書いたように、彼等がウルトラマンメビウス自身によって選ばれたからであると思う。しかし、それだけでは不十分である気がする。
 そこには様々な解釈も可能だろうが、私なりの考察を述べさせて頂ければ、それこそが40年という時間の為し得た「人類全体の意識の底上げ」とでも言うべき部分なのかも知れないと思う。



 「メビウス」では、ウルトラ兄弟の存在した世界を引き継いだ形で物語は進む。ウルトラマン80が地球を去ったのが1981年。それからすでに 25年もの月日が過ぎ去っているわけだ。当然その中では「現実にウルトラマンの戦いを見守っていた大人達」「ウルトラマンを初めて見る子供達」が存在している。作品中でもちゃんと、ウルトラマンを見て懐かしむ大人の眼差しと、親に聞いた伝説を目の前にして目を輝かせる子供達が描かれた。
 そう、伝説。「メビウス」の世界の中で、ウルトラマンは世代を超えて伝えられる【伝説】になっていた。
 もしも子供の頃、ウルトラマンが本当にいたら。自分たちの代わりに怪獣と戦って守ってくれたヒーローがいたなら。あなたはそのことを、どんな言葉で自分の子供に伝えるだろうか。その話をする時のあなたの顔は、どんな表情をしているだろうか。恐らくそこには、当時自分が抱いたであろうそのままのヒーローへの熱い思いや憧れが、言葉に表情に宿るのではないだろうか。
 子供はそこに「生きた伝説」を見る。昔話ではなく、生きた伝説。ウルトラマンという名の光り輝く魂が、そのまま親から子へと伝えられていた世界。「ウルトラマンメビウス」とはそんな世界をベースに持っていたのだ。

 だからこそ、人類全体に「ウルトラマンの思いに応える」という意識の土壌が出来ていたと言えるのではないかと思う。40年の間に生まれた子供達が、親から聞かされた伝説。その根幹に流れている精神。不思議なもので子供は、無意識に親の言葉の裏にある真実を見抜く。命を賭けたウルトラマンの戦いを見た人々が、新しく生まれた子供達に、伝えていくことで広がっていくウルトラマンへの思い。
 「百匹目の猿」という有名な話がある。その信憑性は怪しいものだという説もあるが、私はこれはある程度真実を突いているのではないかと思っている。やはり進化には、一部が突出していても駄目で、全体がある一定以上のレベルに底上げされていなくてはならないだろう。
 25年という年月の間、人類とウルトラマンの関係は、決して途切れたわけではない。その間もウルトラマン達は神戸の片隅で人々と共に生き、太陽系の彼方で地球を守ってくれていた。そして人間は彼等の存在を忘れることなく伝えていた。
 サコミズとゾフィーとの邂逅も、ミライがGUYSに受け容れられたことも、その結果に過ぎない。そんな風に私は考える。



 「メビウス」の面白いところは、視聴者も二代にわたっているという部分だろう。
 様々なエピに細かく散りばめられた、過去の作品群からの遺産。怪獣そのものや、マケット怪獣などのメテオール、余程よくウルトラの世界を知らなければ分からないような設定もあった。

 そんな中でテッペイというキャラクターは秀逸だったと思う。
 古いウルトラ作品を見たことのない子供達でも、彼が劇中で喜色満面で、時には驚愕の表情で「○○だあ!!」と語る時、そこから「ああ、コレはきっとずっと前のウルトラマンに出てきたんだな」と自然と察することが出来るからだ。テッペイは現代を生きる子供達と、過去の作品群との架け橋であり、「伝説」として生きている<<ウルトラマンの戦い>>の語り部でもある。彼がいたからこそ、「元来のメイン視聴者であるはずの子供達の置いてけぼり状態」が最小限で済んだのではないかな、と感じる。





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これ公式の続編なのかな?

 

2008年11月11日

ウルトラマンメビウス考・4 サコミズ

 光の巨人ウルトラマン。その心を示すが如く、身体は見上げる程に大きく銀色に輝く。決して諦めない心と「愛するものを守る」という強い行動原理、志を同じくする「兄弟」たちとの堅い絆。そして彼等は奇跡を起こす。
 戦いを終えて飛び去るウルトラマン。人類が空を見上げる果てに、彼等の存在はある。

 その後ろ姿を、私達は見送るしかできないのだろうか?

 「ウルトラマンメビウス」では、そんな問い掛けに積極的に答えようとした作品ではないかと思う。今までも人類とウルトラマンの共闘を描いたエピは多かったろうが、「ウルトラマンメビウス」では作品の根本的なテーマとして繰り返されている。ウルトラマンを主役に据えることで、ウルトラマンから人間への思いを語りつつも、人間サイドからウルトラマンへの思いも同じくらい重要な位置づけで語られるのだ。
 ここでキーになる人物、それはGUYSの仲間…特にリュウはメインキャラとして描写されてはいたが…ではなく、やはりサコミズ隊長なのだろう。



 宇宙を旅していたサコミズが、冥王星軌道で遭遇した出来事。
 襲いかかってくる無数の円盤と、それを一撃で倒して見せた光の巨人との出会い。

 その経験が、彼を地球へと帰還させ、GUYSの結成を決意させたという。
 彼は悟ったのだ。ウルトラマンは地球と人類を心から愛してくれていた。誰も気が付かないうちに、知らないところで、常に人を外敵から守り続けてくれていた。そんな彼等の心に答えたい。自分も共に戦う道を選びたいと。
 このサコミズの決意こそ、「ウルトラマンメビウス」の物語の中で常に温められていた人間サイドの思いではなかったか。

 ウルトラマンの愛は、もしも人間レベルに落として考えるならば、最も近いものは子供に対する親の愛かもしれない。同じ遺伝子を持つ我が子の、弱いところや醜いところも愛する。その成長を見守り、気が付く限り外敵から守ってやろうと思う。
 しかし子供もいつか、自分が守られていた存在であることに気付く。(むしろ親の愛に気付くことが出来た子供は幸いだ)そしてそこで意識の選択が行われる。愛に気付くのか、気付かないのか。気付いたのなら、どうするのか。ただ漫然と受け容れるのか、拒否するのか。むしろ足りないと文句を言うのか。与えられた愛に応えようとするのか。
 サコミズの出した答えは「その思いに応える」だった。ただ与えられて、それでよかったねと思うだけではない。「勝手に手出ししやがって!」と文句を言うのでもない。その心に応えたい、と自然と湧き上がる思いだったのだろう。ウルトラマンに依存するのではなく、かといって自分の領域を侵されたと反発するわけでもない。愛は愛として受け止め、尚かつ応えようとする心というのは、成熟し且つ純粋な精神を必要とする。

 実はその純粋な思いこそ、ウルトラマンの光の意識に似た輝きを持つものだったのではないかと思う。ミライがGUYSのメンバーを選んだ時に見たであろう輝きが、サコミズの胸もより強くあったのではないだろうか。



 最終回、サコミズは「メテオールは元来、ウルトラマンの心に応えるためのもの!」とはっきりと言う。GUYSという組織も、メテオールという技術も、すべてが今まで人類のために戦ってくれたウルトラマンへの、人の思いの結晶として作り上げられたものだった。
 ファイナルメテオール、それはウルトラマンの必殺技である光線を、更に増幅させる巨大なレンズのような機械。このメテオールが使われるシチュエーションとは、即ちウルトラマンが絶体絶命の危機に陥っている時だろう。それでも、きっと、彼等は戦ってくれているのだと!そう信じているからこそ作れるものであり、そこに見えてくるのはウルトラマンの愛に対する絶対的な信頼。人間は誇りを持ってウルトラマンの愛を受け止め、それを増幅して返すことで彼等を助けるのである。



 ミライをエンペラ星人に引き渡すか否か。サコミズはテレビを通して人々に問いかける。
 そして人類は、その総意としてウルトラマンを信じることを決意した。

 ほんの少しだけでも、人類はウルトラマンに近づけたのだろうか。






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2008年10月28日

ウルトラマンメビウス考・3 光の兄弟

 ウルトラマンは神ではない、とハヤタは言う。ではなんなのか。彼等は何故戦うのか。


 「僕が生まれるずっと前、ウルトラマンは人間と同じ姿だったんです。ある時偶然に僕らの一族はウルトラマンの力を手に入れました。それは決して望んで手に入れた力ではありません。でも力を手に入れたと言うことは、果たすべきなにかがあるはずだって考えたんです。守れるものがあるはずだって。あれが僕の故郷、ウルトラの星です。ウルトラの星は地球から300万光年離れた場所にあります。つまり今ここから見えているあの輝きは、まだ僕らの一族が人間だった頃の輝きなんです」



 これは、ミライがリュウに語ったウルトラの一族に伝わる伝説だ。
 非常に興味深い内容だと思う。彼等はかつて人間だったという。ある日与えられたウルトラの力…つまり、もしもその言葉が許されるならば、その力を与えたのは「神」であると言えるかも知れない。又は「その種族を支配している大いなる運命の流れ」とも言い換えられるだろう。彼等はその進化の果てに、ウルトラマンとなったのだ。
 「望んでいないのに」「手に入れた大いなる力」を「守るべき何かのために役に立てよう」と思う、その崇高な精神。いやむしろ、そういう光のスピリットを一つの知的生命体全体が獲得していたから、彼等はウルトラの力を手にしたのではないだろうか。光の力に相応しい心を持っていたからこそ、ウルトラマンになれたのではないだろうか。

 ウルトラマンは神ではない。しかし、人でもない。人を超えた光の巨人。己に与えられた力を、守るべき何かのために役立てようと、命を賭けて敢えて試練の道を選ぶ光の兄弟達。彼等が超人であるのは、その力や能力以上に、心が、精神が、人として最も高度な善の力である「ヒーロースピリッツ」があって当たり前の領域まで高められているからだ。
 彼等は何故戦うのかという質問は、ある意味愚問なのかも知れない。彼等の愛は、闇を貫く"schoner Gotterfunken"※(美しき神々の火花)なのだ。
 何故急にドイツ語を使ったのかというと、私はウルトラ兄弟のことを思う時、どうしても「歓喜の歌」の歌詞が頭の中をちらつくからだ。ここで謳われる「兄弟」が、ウルトラ兄弟に重なる。

http://www.geocities.co.jp/MusicHall/1179/kasi1.html

 しかし、人類はまだまだこのウルトラマンの意識にはほど遠い。人々は扇動されやすく、身勝手で、何度でも裏切るし、卑怯な手も使う。終盤にその悪役ぶりを発揮したヒルカワのようなキャラが出てきたことは、その一端を示している。
 残念ながら、今の私達がウルトラの力を得ることはない。例え得たとしても闇に堕ち、怪獣や侵略宇宙人になるのが関の山だろう。その辺は丹念に平成ライダーなどによく描かれている。そうした人類の心の闇から目を背けてはならない。

 地球から見えるウルトラの星の輝きは、かつて彼等が人間だった時のものだという。この二重写しの世界の面白味!重なり合う時間の中で、私達はそこに何を見るのか。
 ウルトラマンと怪獣が戦う。そしてそれを見つめている地球の人々。目の前で戦っている二つの巨大な力は、そのどちらかが我々の未来の姿となるかもしれない。我々の心の奥に闇はぽっかりと口を開ける。しかしその上空の遥か彼方、「かつて人間だった頃のウルトラの星の輝き」が地球に何かを語りかけている。

 では、人は人としてどうするのか。





 …サコミズ隊長については、この次になっちゃいました(^^;;;



"schoner Gotterfunken"※…本当はoは上に点が二つつくのですが、表示出来ないためアルファベットのoにしました。






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これできみも、クルーガイズ!

 

2008年10月21日

ウルトラマンメビウス考・2 GUYS

 ウルトラマンは何故戦うのか。そこに何を見いだすというのか。人とウルトラマンとの関係を問い直す「ウルトラマンメビウス」の物語に於いて、メビウス=ヒビノミライの最も近くにいる人間であるGUYSのメンバーの持つ意味は大きい。
 歴代のウルトラマンにも共に戦った仲間達がいた。そこに確かな絆も生まれていた。しかしメビウスとGUYSの関係は、今までのシリーズと大きく違うところがあった。いや正確には、大きく違う展開を見せた。

 まず序盤。どう考えても隊長であるサコミズは、ミライの正体を知っているかに見える。彼の何気ないフォローのお陰で、なんとなく場がうやむやになって、ミライが実はメビウスであることが誤魔化せた事が何度もある。その辺の謎が「日々の未来」のエピで明かされ、実は最初からミライをウルトラマンメビウスと知って受け容れていることが分かる。また終盤の「旧友の来訪」では、サコミズが総監の立場を隠して前戦で戦う理由ともつながっていることも明かされている。
 驚かされたのが、物語も中盤である29,30話で、クルーの目の前でミライが変身して見せたことだ。今までのウルトラマンなら「正体が分かってしまうと地球にはいられない」という不文律があった。しかし今回は、師であるウルトラマンタロウが公認した上で地球に残ることになる。
 そして最終回。GUYSのクルー全員が円陣を組み、サコミズ隊長の号令の元「GIG!メビウーーース!」と片手を掲げて変身する。ウルトラマンと人類が共に戦う、という物語をこういう形で完結させたのだ。



 しかし何故、CREW GUYSはウルトラマンに変身出来たのだろうか。

 よくよく考えれば彼等は非常に特殊で、職業軍人?なのはリュウただ一人。あとは一時リタイアしているサッカー選手とレーサー、保母さんやりながらの二足のわらじ、残る一人は大学に通いながらGUYSでバイトみたいな(笑)
 確かにマリナやジョージには特殊能力があるし、テッペイには知識がある。で、コノミは?怪獣と仲良くなる能力??なんかよく分からないんだけど、まあこのメンバーでGUYSは構成されるらしい。ごった煮というか脈絡がないなあと、最初は思ったものだ。

 ただ、最終回を終えてみて、私は改めて気付かされたことがあった。彼等は、ウルトラマン自らが選んだ仲間だったんだと。
 初めて出会った時に、「ウルトラ五つの誓い」を暗唱していたリュウ。あの危険な状況の中で、子供達の可愛がっているウサギを助けたコノミ達。皆、ミライが直接関わって、「この人達なら一緒に闘える」と思った人物だった。最初は皆「自分には関係ない」というスタンスだったし、唯一GUYSに入隊しているリュウは、当然否定的な人選だった。しかしミライだけは「あなたなら出来ます!」と言い続け、説得していた。そしてその判断を信じ、見守っていたサコミズ隊長…
 もしかして、大切なのは「ウルトラマンが見い出した」ことであり、特技なんてものは二の次だったのではないか。ウルトラマンの持つ共鳴力が、彼等の中に自分と同じトーンの光を見いだしたのではないだろうか。私はそんなふうに考える。



 「ウルトラマンメビウス」の物語では、人類はただの善人ではなく、悪い面もそれなりに描かれている。そうでなくても、人というのはまだまだウルトラマンに比べれば、弱さも醜さも持った存在だ。
 しかし一方で、胸の奥にウルトラマンと共に戦う光をもった若者達がおり、メビウスは彼等を仲間とした。
 だからこそ、GUYSの仲間達はミライがメビウスと分かった後も変わらず受け容れることが出来たし、タロウがそれを許した。絶望を乗り越えてウルトラ兄弟達の声を聞き、最後に共に変身することが出来た。そんな風に思えるのだ。




 そしてGUYSというチームを考える上で、なくてはならない存在が隊長であるサコミズだろう。
 それはまたこの次(笑)





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ちなみに私が一番好きな隊員はてっぺーさんです。

 

2008年10月14日

ウルトラマンメビウス考・1 はじまり

 2006年4月、「ウルトラマンメビウス」はスタートした。
 「今度のウルトラは、昭和のウルトラ兄弟の世界と地続き」と聞かされた時は正直驚いた。大丈夫なの?という思いは決して小さくなく、どちらかというと不安感の方が大きかったような気がする。一言で言えば「今更」。
 その前に放映していた「ウルトラマンマックス」は、ウルトラ怪獣は出てきたし、ウルトラシリーズの俳優達の出演も盛り上げたが、完全にパラレルの世界観だったし、オムニバスならではの振幅の激しさが2クール以降に大きな盛り上がりを見せた。だからこそ「狙われない街」や「怪獣は何故現れるのか」のような、【ある意味地続きなんだけど】なエピが可能だったのだろう。
 しかし「メビウス」の場合は完全に世界観からM78星雲の光の国を踏襲するという。番宣CMにはウルトラの父まで登場していた。
 当然、ファンの批判的意見も多い。40周年だからと言って、何故今、ウルトラ兄弟なのか。

 何故この決断をしたのか、私には知るよしもない。スタッフ側のインタビューも、映画のパンフレット以外読んだことはないし、企画書を見る機会もない。だからあくまで推測に過ぎないのだけれど、この決定を下すのはかなりの【覚悟】が必要だったのではないかと思う。もしも失敗すれば、メビウスもろともウルトラの世界観そのものが崩壊しかねないからだ。
 しかし実際第一話を見て、「これはもしや」と思える程良い作品になる予感があった。光の国のイメージの美しさ、風船と共に穏やかにたたずむ青年、確かに伝えられていたウルトラ五つの誓い、光の粒子と共に静かに現れるウルトラマン、そしてそれを歓び、迎える人々。
 コレは本気だと。ウルトラシリーズという偉大なる作品群への強いリスペクトが香る、そんな一話だと思った。
 そしてその予感は、最終回まで褪せることなく貫かれたと思う。

 この第一話で、人間と接することで何かを得るために、地球へと派遣されるメビウス。すでにここで、メビウスは一方的な人類の庇護者ではないことが語られている。共に戦い、そこに生まれる精神を更なる己の力とするために、地球に降り立ったのである。

 よくよく考えてみるとこの設定は面白い。初代は明らかに偶発的な事故からハヤタと一体となったし、それ以降のウルトラマンも皆、怪獣の驚異から人類を守ることが第一義だった。しかし今回は、人類との共闘はあくまで手段であり、最初から目的は【そこから得るなにか】なのだから。40年という月日が、ウルトラ兄弟達の闘いを若きウルトラマンに伝え、「あの兄さん達が命を賭けて守った星」「何故ウルトラマンは人のために戦うのか」という命題を与えたのだ。
 そして再びウルトラマンを迎えた地球と人々。彼等の記憶の中には、ずっと前に自分たちのために戦ってくれていた銀色の超人の物語が刻まれており、様々な思いを胸に抱かせている。彼等もまた「何故ウルトラマンは人のために戦うのか」という問いを持っている。

 その答えを見いだす仲間、メビウスと共に戦う若者達GUYS。
 第一話で「なんて酷い戦い方だ!」とダメ出しされたのがつい昨日のようだ(笑)そしていきなりミライと一緒に現れた隊長。その上メンバーはあっちこっちから引っ張ってきた、プロフィールも様々なごった煮メンバー。
 彼等についてはちょっと多く書きたいので、次に(笑)



 ちなみに今では、「ウルトラマンマックス」は「メビウスの世界で作られたウルトラ番組」と考えればと楽しいなあと思ってます(笑)






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コレ観てない…(^^;;;

 

2008年10月07日

ウルトラマンメビウス考・序

 「我々ウルトラマンは神ではない」

 これは映画「ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟」の中での、初めて地球を訪れた初代ウルトラマン・ハヤタの言葉だ。
 この言葉の意味は深い、と私は感じる。そもそもウルトラマンと怪獣は、よく神と自然現象に例えられることが多かったという。確かに巨大怪獣という、人類には不可抗力の大いなる驚異は天変地異を思わせるし、そこに絶対的な力で立ち向かって鎮圧してくれるウルトラマンは神の様にも思える。しかしこの映画の中で、はっきりとウルトラマン本人が「神ではない」語っているのだ。
 では、なんなのか。ウルトラマンとは人類にとってどういう存在だというのか。私は「ウルトラマンメビウス」を通してみながら、ずっとそのことを考えていた。


 昨年はウルトラマン40周年の記念であった。この節目に「ウルトラマンメビウス」という作品を通して、ウルトラ兄弟という「世界観」を復活させた円谷プロ。そこにどういう意図があるのか、なんてことは、私はスタッフのインタビューも企画書も、その手がかりは何一つ読んだことがないので言及することは出来ない。また、ウルトラシリーズに詳しいわけでもない。そう言う考察はきっと他の方が、納得のいく論説を書いて下さるだろう。

 そんなわけで、私は自分なりの目で見たメビウス考を書き連ねていきたい。常々言うところの「特撮は現代における神話体験」という視点を、かなり今回は深く感じ入ると共に、どう文章にまとめたものかと、少々困っている(笑)

 しかし、最初に言えることがある。

 良く私が好きで使う言葉「ヒーロースピリッツ」。人の胸の奥底に光り輝く最高度の善の心、何者にも屈せず燃え続ける魂、それを私はそう呼んでいるわけだけれども、今回改めてウルトラマンという作品群に流れている精神は、そんな言葉では形容できないような気がした。
 例えば仮面ライダーは等身大のヒーローだ。戦隊も然り。彼等は基本、人間の立場でありながら悪と戦う。彼等の胸には自覚するしないに拘わらず、常にヒーロースピリッツが抱かれている。特に平成ライダーのシリーズは、未熟な人間がヒーローとしての闘いを通して、真のヒーロースピリッツに目覚めるまでの物語が描かれていると思う。

 しかしウルトラマンは、違う。彼等のいる精神領域はすでにそこにはない。
 ウルトラマン。決して諦めない強い心と、たとえ何百回裏切られても失わない優しさ。それはヒーロースピリッツが「あって当たり前」の意識、その更に上。正に超人の名に相応しいヒーローであり、彼等は光の兄弟達なのだ。
 彼等は40年前から人類に闘いを通して、愛と勇気に彩られた光の意識を伝えてきた。子供の頃〜10歳前後、ウルトラ兄弟に触れることが出来た私達は幸せだ。そして今、その意識は二世代目に伝えられつつある。子供と一緒にウルトラマンを見る幸せを、あの頃の自分が想像出来たろうか?

 一年前、私達の目の前にウルトラマンメビウスが降り立った。
 紡がれた物語から見いだしたものはいったい何だったのか。
 余り先のことは考えず、書き連ねていきたいと思う。




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一昨年の今頃はまだ映画を上映してましたね。