2008年07月15日

仮面ライダー龍騎・4 龍騎

 「仮面ライダー龍騎」。
 仮面ライダーの記号を割り振られた三人のライダーと、正義とは正反対の立場を取る十人のライダー。
 彼等は己の願いをかけて戦う。戦わなければ生き残れない!



 「仮面ライダー龍騎」における龍騎とナイト。
 ライダーの象徴である【複眼】【クラッシャー】を与えられた、この二人の主役と呼べるライダーは、描写としてはヒーローの立場を取っている。彼等は基本的にヒューマニティーを抱いた人間として、所詮殺し合いであるライダーバトルに参加するから葛藤が生じているのだ。
 龍騎は人々を守ろうという熱い心はあるが確固たる信念はなく…
 ナイトには愛する人を助けたいという意志は強いが、その為に他者を殺める道を選んでしまう。
 ヒーローとしての心と意志。それらをバラバラに二人の主役に与えたことで、【未完成なヒーロー】の成長と葛藤の物語となったのである。



 仮面ライダー龍騎に変身した城戸真司。
 真司という人物は「祭りを取材しに行って御輿を担いでいる」ようなタイプと編集長に言われるように、非常に明るくお人好し。なにより善良で、それ故「馬鹿」と称される青年だ。そんな脳天気な印象の彼ではあるが、意外と物語の中ではへらへらと笑っていることは少ない。
 ある時、私は趣味のMAD作りをしていたのだが、作品中でキャラの穏やかな笑顔をピックアップしたことがあった。すぐいい表情が見つかると思っていた真司だったが、不思議となかなか納得のいくピンの素顔がないのである。むしろ劇中での真司は常に苦悩している。何故みんな戦いをやめないのか。自分のしていることは間違っているのか。そんなことを常に自問自答し、同居人である蓮や優衣の苦しみを我がことのように感じ、現実と理想の中でもがいている姿の方が多い。

 「戦う」という行為には、その根本にそれぞれの主観に基づくイデオロギーがある。戦う側はその事情が切実である程、他人の言葉に聞く耳を持てない。また第三者は当事者に親身になる程に、戦っている者達の主義主張が、それぞれにとっての真理であることを納得させられてしまう。
 「戦う理由」にはいいも悪いもないのだ。むしろ考えるべきは、自分のイデオロギーを通すために「戦いを選択してしまう」ことなのだろう。

 前にも書いたが、龍騎は「仮面ライダー龍騎」が子供番組として成立する為には無くてはならない「人としての良心」の役割を担っていた。

 人には色々な理由があるけど、戦いって良くないんじゃないか?
 そんなことして何か解決になるのか?
 力は、正しいことに使わなくちゃならないんじゃないか?

 …そんな「当たり前だけど "現実的" じゃないこと」を訴えて、城戸真司は右往左往する。色々な立場の人物のすべてを救いたくて、そのジレンマで悩み続ける。最後まで悩み続けて、彼の良き理解者である編集長に「じゃあお前の一番信じているものはなんなのか」と問いかけられる。
 そして、あの時、自分が戦いに参加した深い動機を思い出したのだ。



 母親をモンスターによって失って泣いていた子供…
 あんな風に悲しませたくない、と。



 人々をモンスターの脅威から守りたい。ミラーワールドを閉じたい。その為には友に辛い思いをさせるだろうけど、でも。

 それが「ライダーとしての自分の願いだ」と…








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浅倉ですら馬鹿だと思っていたんだよなー…

2008年07月11日

仮面ライダー龍騎・3 ライダーの記号

 普通の生活をしていると、あまり象徴(シンボリズム)の意義なんて意識しないことだろう。恐らく龍騎を企画し、デザインを作った人々もそうだったと思う。
 しかし象徴というのは、驚く程私達の潜在意識に働きかけてくる要素を持っているのだ。

 神秘学の基本。
 象徴とは、高い次元から低い次元までを貫く扉であり、現実の中に「高次元のエネルギー」を召還する鍵である。

 …というと難しいんだけど、要はあれだよ。マジレンジャーや「鋼の錬金術師」に出てくる魔法陣。アレを思い浮かべて頂けると分かりやすいと思う。あそこに書かれている妙な記号。その形や配置にはそれぞれ意味があり、それを通して神秘的な力を召還する。そもそも儀式というのはそう言うものだ。
 象徴(シンボル)は潜在意識に働きかけるツールでもある。タロットカードや易が何故占いとして成立するのか?それはそこに描かれたシンボルの波動が、私達の潜在意識とリンクして、導き出されるからということになる。(…だんだん怪しい話になってきたけれども(笑)そーゆーもんだと思ってね)
 「名前」というのも同じで、名付けられることで与えられるシンボルがある。姓名判断などはその例と言えるだろう。



 仮面ライダーというシリーズは、年代を超えて、長きにわたり人々を魅了してきたヒーローの群像だ。
 そこに描かれてきた「複眼・クラッシャー・触覚」。それはすでに、ヒーローのシンボルとしての意味を持っていると私は思う。

 複眼を与えられた龍騎。甲冑のようなスリットから覗く、あのライダー独特の真っ赤なタレ目が、かわいくもあり、アホっぽくもあり、泣いているようにも見える。目は心の窓であり、内に燃えるハートだ。
 クラッシャーを与えられたナイト。己の意志を伝える言葉を発するはずの口元は固く閉ざされている。牙のようでもあり、何かに耐えているようにも見え、常に多くを語らず決意を秘めている。
 触覚を与えられたゾルダ。余りにライダー離れした外観の額に付けられたそれは、機械的にアレンジされており、殆どその存在に気付かない。しかし、確かにそこに「ある」。



 「仮面ライダー」と名付けられた13人のライダー達は、己の願いをかけて戦い合う。
 その中にあって、正義のヒーローのシンボルをそれぞれ部分的に割り振られた三人のライダー達、龍騎・ナイト・ゾルダ。三人は思いも行動もバラバラで、余りにも未完成なヒーローとなっている。
 しかし胸の奥には無自覚に、ヒーロースピリッツの光を抱えて戦っているのだ。
 そしてヒーローの真逆を行く、戦いそのものを楽しむ王蛇。彼もまた仮面ライダーと名付けられ、常にライダーバトルの中心に存在するようになる。

 この4人のライダーが物語の中心だった。3分の1ずつ与えられたヒーローの象徴が、潜在的に力を発揮したのかどうか、私には知る由もない。しかしそんな視点を加味しつつ、彼等について掘り下げていきたい。






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2008年07月09日

仮面ライダー龍騎・2 正義はどこに

 龍騎と言えば13人もライダーが出てきて、互いに生き残りをかけて戦うという、かなり殺伐とした話だ。
 そもそも仮面ライダーと言えば正義のヒーローだったわけで、かなりその常識を覆した話と言える。てゆーか、逆にそんな殺し合いをするライダーの話が、子供番組として成り立つのか、という疑問が出てくる。

 そもそも龍騎という番組が企画された背景に、9/11のテロ事件があったというのはファンの間では知られた話だ。プロデューサーが一体何を考え、どう理解してテロ事件からライダーのバトルロイヤルなどという企画になったのかは「龍騎ファンタスティックコレクション」などの白倉氏の談話に譲るとして、龍騎の中で語られているのは「それぞれの願い(正義)」をかけた戦いの是非、ということになるのではないか。
 結局龍騎という物語には「絶対的正義」は存在していない。それぞれのライダーの立場があり、ただ願いだけがある。最終回の大久保編集長の言葉そのものが、龍騎の戦いを一言で表しているわけだ。

 じゃあ、子供番組としての龍騎の「善」の現れとは一体何処にあったのか?

 それこそが成り行きでライダーになった男、城戸真司の「戦いは止めろ!」だったのではないか。だから城戸真司は、この物語の主人公たり得たのだろうと思う。



 …さて。
 神秘学かぶれで2chオカルト板を愛する私が、ちょっとカッとんだ視点から「仮面ライダー龍騎」の四人のライダーを見つめ直してみよう!
 ちょっとこじつけっぽいのはご愛敬。でもこんな変な考察が読めるのは、ここだけだと断言しておく(笑)



 この私の長文を読み下して下さる皆さんなら、「仮面ライダーを表す三つの記号」という話を聞いたことがある方も多いだろう。曰く「複眼(丸い目)・クラッシャー(ギザギザの口)・触覚」
 触覚の部分がカブトムシモチーフだとツノになったりするわけだが、基本はこれが三つ揃っていると「仮面ライダー」と認知されやすいということだ。

 仮面ライダー龍騎では、この三つの記号を三人のライダーにそれぞれ割り振ったのである。
 複眼は龍騎に。クラッシャーはナイトに。触覚はゾルダに。
 そして、それらの記号に全く合致しない悪のライダー王蛇。
 これが物語として大変面白い形になった…と、私は思う。


…とまあ、思わせぶりなところでつづく(笑) 






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2008年07月08日

仮面ライダー龍騎・1 巻き込まれる物語

 さて、いよいよ三作目、「仮面ライダー龍騎」について考察を書きたい。
 ちなみに私にとって龍騎は、特撮というモノに再会させてくれた記念すべき作品であり、それ故に思い入れもひとしおだったりする。だからここから綴る文章は、今まで以上に熱苦しく突飛で、しかも長い!…そこんところは、サーセンwwwとしか言い様がないのだけど。





 私はヒーロー番組は、人の高度な善の心を寓話化したものだと思っている。比較的その辺をストレートに描いたクウガ、人類の進化に例えたアギト(まさにこれは神話の領域の話だった)と比べて、龍騎というのはかなり特殊といえる。
 「仮面ライダー」というヒーローの名を抱きながらヒーローとはほど遠い、人と人とのエゴが激しくぶつかり合う戦い。とてつもなく突飛なライダーのデザインと設定。平成ライダーシリーズに於いてて大きな転換になった作品であり、これ以降の作品が常に新たな可能性に挑戦し続けることが出来たのは、「仮面ライダー龍騎」がヒットし、商業的にも成功したお陰だと言ってもいいかも知れない。

 もし「龍騎って面白い?」と聞かれると、「私は面白かったけど、誰もがそう感じるとは思わない。逆に、もしもキャラの誰かに感情移入できれば、とてつもなく面白くなるよ」と答えることにしている。

 私は「龍騎」を、「巻き込まれていく物語」だと思っている。
 裏話をすれば、実は「龍騎」は撮影がスタートした段階でも、最低限の基本設定しか作られておらず、それこそいきあたりばったりで物語が紡がれた番組だ。製作スタッフですら、最後は一体どうなるのか分からなかったらしい。神崎が戦いを煽る理由さえ設定されていなかったというのだから驚く。
 しかし、キャラクターとその行動の動機、それだけはきっちりと作られていた。その為だろうか、話が進むに連れてキャラが生き、「動いて」いくのである。
 作る側ですら先の読めないダイナミックな物語であり、登場人物の誰かに感情移入することで先の見えない戦いに視聴者も参加することになる。事情も知らず願いも持たない城戸真司が成り行きで戦うように、視聴者もライダー同士の戦いに巻き込まれていく。
 そして彼等の心の成長を、自分も共有することが出来るのだ。



 ここまでで、まだまだ前フリ(笑)
 最後まで付いてくる人がいるかどうか疑問だ(^^;;;







仮面ライダー龍騎 EPISODE FINAL ディレクターズカット版


ヒロインがあんな死に方するのも龍騎ならではだな…(´Д`)