似たようなシチュエーションに「仮面ライダーW」があった。あれは風都という街を舞台に繰り広げられていたが、「フォーゼ」ではさらに規模が小さい。恐らく「学校」というのは、考え得る最も狭い舞台だろう。しかしその片隅に置かれた古ぼけたロッカーは月に繋がっている。狭い舞台にぶちこまれた宇宙のパワー。最先端のトンデモ科学は、小さなスイッチで発動し、何故か古風な日本音階が起動音になっている。
狭い舞台にデカいスケール。相反する要素がぶつかって、それはきらきらと玩具のように輝く。
まず最もシンプルに、この作品の魅力とはなんだったのかと考えた時、やはりそこに描かれていた【明るく真っ直ぐで揺るぎないヒーロースピリッツ】だったのではないかと思う。それは主人公・如月弦太郎のキャラクターそのものであり、この「仮面ライダーフォーゼ」という物語の中心にすっくと立った輝かしい支柱だ。
と同時に、「仮面ライダー」というシリーズにおいてこの明るさは異彩を放っているなと思う。
敢えて平成ライダーに限定して話をさせてもらうと、前にも書いたが私は、平成ライダーは「戦う力を得た男がヒーロースピリッツを獲得して、真のヒーローになるまでの物語」だと思っている。自分の心の闇に打ち勝ち、葛藤を乗り越え、人々の自由と平和を脅かすものと戦うのだ。だからこそ、そこに描かれる物語にはどこか不安定な自我に揺れ動く姿が描かれる。
元祖馬鹿キャラ・龍騎真司もライダーの戦いに常に苦悩している。底抜けに明るいアギト翔一でさえ失った記憶とその真実が陰をさす。555巧は己に絶望し、ブレイド剣崎は状況の中で迷い続け、OOO映司は空虚な自分を抱えたまま。自分を太陽に例えたカブト天道すら闇に落ちる。クウガ雄介や響鬼は常に鍛え続けているタイプだが、彼等はその戦いに闇落ちの危険があることを知っている。キバ渡と電王良太郎はその特異な出生故に戦う運命に向き合わされ、肉親が戦いのきっかけとなる。Wの翔太郎とフィリップもそれぞれ罪を背負う。ディケイド士に至っては、彼自身が戦いと破滅のきっかけなのだ。
しかし、この「仮面ライダーフォーゼ」には、そういう闇の苦悩が一切ないと言ってもいいのではないか。敢えて言えばそれは、賢吾や流星が担当してはいたけれど、弦太郎と言う男を受け入れると同時に彼等の迷いも苦悩も吹っ切られていく。それは仮面ライダー部のメンバーやゾディアーツになってしまった学園の少年少女たちも同様で、弦太郎の「俺達はダチだ!」という言葉と迷いのない心に触れて『善き心』を取り戻す。
第1話から最終話まで、その『物語の背骨』は揺るがなかった。背骨と言うより光と言った方が正しいだろう。弦太郎はそりゃー馬鹿で無茶苦茶なキャラなのだけど、ヒーロースピリッツだけは最初からちゃんと胸の真ん中に持っていた。彼が自分の胸をとんとんと二回たたき、真っ直ぐに指を差す時、彼の持つ明るい光が真っ直ぐに照射されている。誰もが自分の胸に秘めた「自分を認めて欲しい、愛して欲しい、そして同じ気持ちでつながりたい」という純粋な願いを、照らして包み込んでくれる光だ。
「仮面ライダーフォーゼ」には黄道十二宮が大きくクローズアップされる。そして現在は占星学的に「アクエリアン・エイジ」と言われている。難しい説明は端折るがアクエリアンエイジとは、星座の起点となる春分点が二千年ごとに次の星座に移り、今は水瓶座に到達していることをいう。そのキーワードは意識の改革と連帯。馴れ合いや気遣いではない、相手の個性を尊重して己もそこに並び立つ、真の連帯だ。宇宙を舞台にした仮面ライダーで、「すべての人とダチになる」と言い切る青年が主役を張っているのを見た時、私は何となくそのことを思い出した。弦太郎と言う男は、アクエリアンエイジの申し子のような青年だなと。
そんなオカルト話はなしとしても、「仮面ライダーフォーゼ」は、人々を守って戦う孤独なヒーローではなかった。弦太郎は多くの少年少女を助け、その度に正体がバレていき、そして友達になっていく。元来の仮面ライダーのスタイルを守って正体を隠し、物語ではアンチ・フォーゼの立場をとっていたメテオ流星でさえ、最後には「共に戦い生きるから強い」と言い切る。
物語のラスボスである我望がメッセンジャーの声を聴いて孤高の戦いを選んだのに反して、ユウキは「宇宙への招待状」を皆に配ったのも印象的だった。我望は確かに悪役ではあったが、彼が最終的に望んでいたのは人類の進化だった。しかし突出した個がどれほどの力を持とうと、それはただの突然変異でしかないのだ。進化のステップとしては、ある一定数以上を満たさなくてはならない。しかし個性を殺した集団では、むしろ退化だ。次の時代を作るのは、一人一人の個性が開花しつつも、すべてが互いの光を妨げず助け合うものでなければならないはずだ。まるで銀河のように。
『仮面ライダー」というヒーローのシリーズが40周年を迎えた記念作品として、【如月弦太郎=フォーゼ】というヒーロー像が、目指すべき道を指さしてくれたのは本当に喜ばしい。彼の輝かしいスピリットが、真っ直ぐに進むレーザーのように皆の胸を貫いた。その光に共感出来るなら、俺達はダチだ!
それにしても。
信頼出来るヒーローと愛すべきキャラクター達。
罪を憎んで人を憎まない物語の姿勢。
皆の純粋な気持ちが一つになっての戦い。
それはとても熱くて楽しくて幸せな時間だった。
ありがとう、フォーゼ。ありがとう、仮面ライダー部。
仮面ライダーフォーゼ・総括 完
みなさん、またいつかお会いしましょう!from.K
その意味では、仮面ライダー40周年にふさわしいヒーロー像だったと思います。
…つか、まっすぐすぎる主人公に一人また一人と仲間や理解者が集まる構図は、本宮ひろ志の漫画を見てるようでもありましたが(デジャヴというやつじゃな)。
まあ、主人公の陰の部分を描くのが毎年恒例になってる平成ライダーでは、これだけ裏表の無い主人公だと少し物足りない気がしないでもないのですが。
そうか、次にこのブログでお会いできるのは来年2月、ゴーバス総括で…って事でしょうか?
追伸:
秋の新作ギャバン映画に登場するシャリバン、変身前を演じるのは523…ゲキ紫(と書くと桃屋の江戸むらさきみたいだw)の三浦力だそうです。
ちなみにシャリバン・シャイダー共に、変身するキャラはオリジナル(伊賀電・沢村大)とは別人です。
ああいう爽やか系馬鹿キャラと言うのは、見ていて気持ちが良いですし
素直に「こいついいやつだなー」って思えるんですよね。
そうですね〜あそこまで馬鹿で単純で…みたいなのは
恐らく龍騎の城戸真司あたりは同レベルのような気もするんですけど(笑)
大きな違いは「葛藤の有無」じゃないかなーと思いますね。
意外と真司、笑ってないんですよ。割と迷ったり怒ってたりしてます。
(MAD作ってて、真司のいい笑顔のアップがなくてねー)
その点、弦太郎は常に100%の最高の笑顔でしたからね。
裏表や葛藤のなさと言う意味では、弦太郎とダチの握手をした時から
ライダー部の面々は全員、ほとんどそういうものから無縁になって
そこも『平成ライダー』らしくない部分でもあるなと思います。
物足りないというか食い足りないといえばそうなんですけど
でも、やっぱそこが魅力なんですよね、「フォーゼ」は!
いや〜実は私、「ゴーバスターズ」一話しか見てないんです…
本当に忙しくて戦隊が見られなくて…
でもそれが、夏の映画見て見たらちょっと面白いじゃないのよーって
結局今回からまた録画始めちゃいました(笑)
だから総括書いたりは出来ないと思いますが、いやあ、面白いっすね〜
シャリバン523?おおおー さすがに髭は剃ったろうな〜
523と言いつつ、頭の中のビジュアルがゲキチョッパーのケンでした(^^;;;
523は髭なんてねーよ!(笑)失礼しました。
たまたまきたら、きっちりとした総括が(笑)
フォーぜは素晴らしかったですね〜。
若さと明るさ、青春学園物としてのカタチをしっかりと作り上げました。
ただ、私も好きか?というと愛着はさほどなかったり…(笑)
やはり、闇の薄さと玄太郎の存在感に軽さを感じてしまったことが原因かと。それが作品の個性なのでしょうが。
仰る通り、我望理事長と江本教授のエピを広げたらもう少し深い作品になったような… その方が好みなんですけど(笑)
天然キャラ弦太郎は、やはり個人的なエピと挫折がないことでどうしても薄く感じられてしまいました。
新人の役者さんにそこまでの存在感はでませんし。
おばさんにはちょっと喰い足りなかったですが
文句なく楽しかったです。
最終回の卒業式は笑いました!
が、発想がスゴイなぁ〜と感心させられたような(笑)
学食で弦太郎がスープを飲みほすシーンは大好き。
とても印象的でした。
長くなってゴメンなさい。
Kさんの感想は同意感がつよいので時間があったら是非アップしてくださいませ。
折角一年間応援していたので、ちょっと書いてみました(笑)
フォーゼは明るい楽しい作品でしたよねー
そうなんですよね、あんじーさんがおっしゃる通り、
弦太郎には背負うものとか闇とかはもちろんのこと、
そこに描かれているキャラクターを作り上げてきたであろう過去や
その奥にあるはずの人間的な深みもまったく描かれていません。
しかし逆にそれこそがこの作品の明るさになっている訳で
そこが「いい」と感じるか「物足りない」と感じるかで
随分評価が変わってくる作品だと思います。
その分敵キャラの大人たちの描写がもっとあれば、よりよかったですよね。
じゃあ私自身は…というと、弦太郎自身については
「こいつは天然のこーゆーヤツなんだな」でよかったんですけど
あーゆーヤツが、あの理事長を、あれで説得は出来ないだろ…
って感覚が、どうしても最終回でぬぐい去れませんでした。
卒業式も、誰が誰をおくって卒業させるのか、みたいなのが
よくわからなかったというか…
理事長の支配から天高が卒業するのに、最後のライダーキックが
卒業証書授与!ってなんでなん?みたいな。←我ながら理屈っぽい(^^;;;
とは言え、やっぱり面白かったですよ。
あそこでスープのシーンがあるのは本当によかったですよね。
ありがとうございます。また機会が作れれば是非!