主君である丈瑠は、どこか腹の底を見せない印象があり、何を考えているのかは表情からは察せられない。それでも、その戦う姿勢、背負う覚悟は真摯であり揺るぎない。一見冷たくもみえる丈瑠だが、それが言葉や表情を超えて伝わるからこそ、侍達の全幅の信頼を得る。
逆に使える侍達(含・寿司屋)は皆、それぞれ個性あふれる若者たちになっている。まるで常に殿様の顔を決して崩す事のない丈瑠の代わりに、物語の喜怒哀楽を牽引しているかのようだ。
シンケンジャーの魅力は色々だが、先ずキャラクターの配置と描写が絶妙だったことが挙げられるだろう。敵味方含め、過不足がない。一年の長丁場の中で、丹念に描かれたそれぞれの関係の変化や思いの揺れ動き、成長。一つ一つのピースがクライマックスに向けて重なり合った。見事だなあと感心する。だからこそこんな熱苦しい長文の総括が書けたりするわけだ。
だからこそ白石茉子については、私は最初にまず、少々残念に思う部分を指摘しておかなくてはならない。
彼女は非常にクールな印象の登場をした。どこか一歩引いた、観察しているようなスタンス。端正な美人であることが、そんな雰囲気に拍車をかける。一見批判的に見えるのに、モヂカラや剣の修業は十分にしてきている。一方、弱っている人をほうっておけず、ギュッとしてあげたい衝動に駆られるらしい。料理をしたがる割には、その実力は壊滅的。そして戦うために彼女が『捨ててきた』と言う夢は「お嫁さん」…
序盤に描かれたこれらの要素が、私にはどうもばらばらに感じられた。一つ一つの特徴をつなぐ「なにか」が足りず、なかなかキャラをつかめなかったのだ。で、その「なにか」が描写されたと思ったのが、第十三幕「重泣声」のエピだった。自分の特異な使命を重く受け止めるからこそ、憧れる平凡な人生。責任感の強さ故に押し隠してしまう不安。これには納得した。そしてさらに、その生い立ちが第3クール終盤で描かれた。
これは私の個人的な印象なので異論のある方もいらっしゃると思うが、もっと早いうちに茉子というキャラが走り出せば、と思う。そうすれば、平凡な女としての幸せに執着して狂ってしまった薄皮太夫との対比も、もっと明確になったろうにと…
そういう個人的なもどかしさもあったが、それも茉子というキャラの非常に複雑なキャラクターゆえなのかな、とも思う。
少々言葉はきつくなってしまうのだが… 茉子は「捨てられた子」的な側面がある。
茉子の母親は先代のシンケンピンクであり、外道衆との戦いの中で心と体に深い傷を負ってしまった。黒子として参加していた朔太郎でさえ世捨て人のようになってしまうのだから、その抱えてしまった傷の大きさ深さは如何ばかりか。そんな状態の女性が娘に修業させられるわけもなく、両親は茉子を祖母に預け、ハワイに去ってしまう。
だから、茉子は大きな責任を背負っている。小さな女の子が、母の投げ出さざるを得なかった重責を、幼い我が身に背負うのだ。
茉子は恐らくエゴグラムで言うところの「ACが高いタイプ」ではないかと思う。一歩間違えればアダルトチルドレンになりかねない生い立ちなのだが、そうはならなかった。彼女は元々とても強く、そして限りなく優しい女の子だったのだろう。自分を厳しい修業の道に置いていった両親を、悲しく思いこそすれ、恨むことはなかったのだから。だからこそ、母との再会に抱きあって泣く事が出来たのだ。
自分の責任や役割を果たさなくちゃという思いと、優しさ。それは周りの人の心を細かく観察し、理解しようとする性格を形成する。それはことはのように感覚的に「共感」するのではなく、直感を元に分析・言語化するという表現に近い。丈瑠についても、恐らく背負っているものの重さを理解して、初めて共に戦う決意が出来たのではないかと思う。
自分を偽るがゆえに苦しむ丈瑠に、気付いたのはやはり茉子だった。影武者であったと知らされて仲間達が混乱する中、丈瑠の事を思いやっていたのも、茉子だ。
彼女は親の愛に恵まれなかったが、その悲しみに負けなかったから、人の痛みを察して、手を差し伸べる事が出来るのだろう。その人が必要とする言葉を紡いであげられる、そんな女性なのだ。
そこで改めて気付かされるのは、丈瑠が背負い続けてきた【志葉家当主の重さ】だ。侍の家に生まれる茉子でさえ平凡さに憧れた。それこそ侍の家の生まれでもない、戦いで親と死別した丈瑠が、なぜそれほどの重責に耐える事が出来たのか。
これはあくまでも私の私見だが、そこに父の姿が見えてくる気がするのだ。
恐らく、その『背負い続ける』為の推進力は父の愛ではないだろうか。父(描かれていなかったが、もしかしたら母)に深く愛された記憶。その敬愛の念があるからこそ、丈瑠は【志葉家当主の重さ】を背負うが出来たのではないだろうか。
回想で、ほんのわずかに描写されただけの父との思い出、そのシーンの穏やかさ。父が息子に背負わせたのは責任だけではない、それを受け止めるだけの愛も与えていたからこそ、丈瑠はその思い出を心の支えとして立つ事が出来たような気がする。
丈瑠と言う青年の人生を思うと、私は非常に辛い気持ちにもなるのだが、彼が親から受けた愛情の深さは大いなる力であり、救いだったと思っている。そこを踏まえて初めて、志葉家当主として凛として立つ丈瑠の姿があり、仕える侍達との絆に繋がるのではないかと。
決して「殿様の顔」を崩さなかった丈瑠。
そのペルソナをはがされたとき、彼は道を誤りかけた。
外道への闇に向かいかけた丈瑠を引き止めたのは、仲間達の絆。
しかし嘘の上の絆は、果たして成り得るのか…
「志葉家の当主でなくとも丈瑠自身に積み重なってきたものは、ちゃんとあるよ」
茉子の言葉に、丈瑠は初めて、一人の青年の顔で泣く。
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茉子って元々きれいだけど、第十三幕以降、さらに美しくなった気がするんですよ。
ほんっと、すんごい考察をありがとうございます。
其の六を読ませていただいて、私の中で「丈瑠」がやっと救われました・・・。
(そして涙しました・・・)
私はただ、彼の努力、忍耐力、責任感があれだけの業を背負えたのだと思っていたけれど、
やっぱりそれだけじゃあまりにも悲惨すぎると心のどこかでひっかかってました。
「洞察」を読んで、ストンっと全てのパズルのピースがはまりました。
彼が父(もしくは両親)から受けた愛の大きさ、深さが、
彼の背負わされた宿命に打ち勝つほどのものだった・・・というバックグラウンドが見えてきたとき、
いうなれば大人の事情で勝手に自らの運命を変えられたのにもかかわらず、
丈瑠の「この世を守る」という強い信念に何故こうも揺らぎがないのか、
やっと納得のいく答えが見つかりました。
そして、一見クールで無愛想だけれども、時に垣間見える彼の優しさや人を思いやる気持ちから察するに、
じいもまた、丈瑠を「志葉家18代目当主」としてモヂカラの稽古や侍や当主としての心得を叩き込んだだけでなく、
自分の子供や孫のように(もしかしたらそれ以上に)普通の子が親から受けるのと同じ慈しみや愛情を注いで育てたのだろうなと思います。
人間、やはり愛された経験がないと人を愛することも、この世が幸せな場所だと思うこともできないと思うので。
今、シンケンジャーを1幕からまた見てるんですが、こんなこと考えながら見たらまたウルウルしそうです(笑)
(やっぱり、何らかの形で書籍化して欲しい〜♪)
そういって頂けると心底嬉しいですね。
恐らくそんなことまで意識して、あのシーンが描かれてはいないんじゃ
ないかとは思うんですよ(笑)
ホントに私の勝手な深読みなんでね。
ただ色々なキャラの事を考えた時、どうしてもどうしても丈瑠と対比していたんですが
特に茉子の事を思い浮かべたときに、丈瑠と父との関係の事が
頭の中ですごく鮮やかに感じられたんです。
私も丈瑠については、辛い宿命を背負わされた青年だと思っていて
だからこそ、この考察を思いついたときは「書きたいな」と感じました。
だから受け止めてもらえるとすごく嬉しいんですね…
ジィは、確かに丈瑠に対しては、ただの家臣異常の思いを抱いて
父親の代わりとして接していたんじゃないかと思いますよ。
そのうち日下部についてもちょっと言及したい事が有るので
もしかしたら(というか、気力が残れば、か・笑)書くかもしれません。
いやあ書籍化は…需要がなさすぎなのでwww