全員の力を一つにして敵を倒すのがセオリーの戦隊ヒーローでありながら、最終決戦の鍵を握るのは志葉家当主であるレッドだけ。それだけでも大いにパターン破りなのに、彼は偽物であったという驚きのどんでん返し。
何故そんな設定を思いついたかは、スタッフのインタビューなどで語られているかもしれない。しかし私は余りそう言う類のものを読んでいないので、もしかしたらこれから先で書くことに見当はずれな内容もあるかも知れない。ただ、単純に一年間この特撮作品を見た上での印象なので、ご容赦下さい。
いきなりの「本当の志葉家十八代目当主」の登場には唖然としたものの、この「丈瑠は実は影武者」という設定は、最初から巧妙に物語の中に織り込まれているのに気付かされる。
一番分かりやすいのは、物語も序盤に出てきた「嘘つき!大嘘つき!!」に強いダメージを食らうシーンだろう。一体これはどういう意味なのか、何か理由があるんだろうなと思いつつも、その後ずーっと放置。志葉家代々を祭った立派なお墓の他に、小さな墓石に手を合わせていた丈瑠のシーンも、何も説明のないまま放置。仲間とのつながりが強くなったなと思っていたら、いきなり十蔵に弱くなったことを指摘され散々悩んでいたのにも関わらず、立ち直ったというより棚上げにされて放置… 心の中に少しずつ放置された「?」は、実は全て伏線であった。
実は私は、この辺の伏線ついては、子供番組であるが故に、伏線なのか曖昧なまま処理されているのか分からずにいた。特に丈瑠の父の最期のシーンと、シンケンレッドが最期の力を振り絞ってドウコクにダメージを与えるシーンが、矛盾していることを指摘しなかったのは失敗だったと思っている。「なんだ、炎の屋敷の中で死んだはずなのに、コレじゃ矛盾しているじゃん」と思っていたのだが、多少の描写のおかしさをつい大目に見てしまっていたのだ。このシーンは決して矛盾しているのではなく、やはり伏線だったのである。
丈瑠は「人の世を守る」という大義を背負って、影武者として当主の座に着いた。彼のモヂカラの才能故のことだ。それも本来の継承者である薫姫を敵から守るため。彼の生きて戦う理由は大義こそ全てであり、酷い言い方をすれば「捨て駒」としての役割でもある。丈瑠が背負い続けなくてはならない使命とは、「人の世を守るためなら死もやむなし」という重荷だ。
幼い内から刷り込まれる自己アイデンティティに、最初から死の影が差している。大いなる使命を果たすためには、自分自身として生きることは二の次なのだ。十蔵の指摘した「いびつさ」はそこから来ているのではないだろうか。また、自分が偽物であるが故に、家来となる侍達を巻き込むのを嫌った。
逆に、ジィである日下部は自分のことを知っている。幼い頃から自分を教育した、言うならば身内だ。だから日下部が年に一度、家族との対面する日をもうけていたのに、戦いのために諦めざるを得ない状況でも「そういうものだろう」という理由で、今までなんとも思わなかった。
しかし、それが変化したのである。孤独の中で戦い続けてきた丈瑠が、仲間の侍に心を開きはじめ、「たけちゃんの為に」と駆けつけてくれた幼なじみと再会し、多くの敵を相手に共に戦い抜いたことで。
しかしその変化をもたらした「信頼関係」は、出自の嘘の上に成り立っていた。十蔵に自分の「いびつさ」を指摘された瞬間に、恐らく丈瑠は本質を見抜かれていることに気付いたのだろう。だからこそ「弱くなった」と言われたときに、侍達との信頼関係に甘えてしまっている自分を見抜かれたと思い、元来その価値がないことに苦悩した…のではないかと、私は解釈している。
逆に侍達は、純血種であるが故に、個の思いと家の使命との間で揺れ動く。その一人一人と丈瑠との対比が、またこの物語の面白いところだ。
この辺についてもうちょっと突っ込んで書きたくなってきたので、つづく(^^;;;
侍戦隊シンケンジャーメモリアル天下御免


2,800円 (税込 2,940 円) 送料無料
ちょ、B4ってマジですか?
度々お邪魔させていただいているasamiyと申します。
各話終了毎にこちらにお邪魔して
感想&解説を読ませていただくのが
とても楽しみな一年間でした。
本当にありがとうございました。
現在書かれている総括も
すごく胸にグッときて、
本編が終わってしまった寂しさを
少しだけ忘れさせてくれます。
その壱拾くらいまで・・・
いっぱいいっぱいUPしてください♪
何時も読んで下さっていたんですね、ありがとうございます。
そんな風に言って頂くと、「ブログやってて良かった」と
心から思います。こちらこそ有難う御座いました。
シンケンジャーは、毎週の感想もそうなんですけど
短くしよう短くしようと思っていても、大抵予想以上に熱が入って
文章が長〜くなってしまうんですよ(笑)
週に一度か二度のゆっくりペースですが、自分なりに納得が
いく総括・考察が出来たらなと思っています。
もしもよろしかったら、時々覗いてやって下さい。