2009年02月24日

超星艦隊セイザーX考・10 超星神シリーズ

 「超星艦隊セイザーX」は、東宝の「超星神シリーズ」といわれる特撮番組の三番目にして最後の作品だ。このことについて少々言及しておきたい。
 超星神シリーズと言われてはいるが、実は作品毎にスタッフは多く入れ替わっている。共通項としては、基本に等身大ヒーローがおり、数話に一度巨大ロボ戦があり、キャラはやたらポジティブでフレンドリー。そんなものではないだろうか。
 しかし一作目の「超星神グランセイザー」、二作目の「幻星神ジャスティライザー」の遺伝子が、図らずもそれぞれ三作目の「超星艦隊セイザーX」へと引き継がれ開花している。
 ただしこれは前2作が「セイザーX」に比べ劣っているという意味ではない。それぞれが魅力的な作品群であることに変わりはないので、その辺は誤解なきよう…




 一作目の「超星神グランセイザー」は、遥か太古の遺伝子に導かれた若者達が、宇宙の脅威に生存権を賭けて立ち上がる物語だ。敵は宇宙連盟と言われており、所謂「神」的な存在が相手。
 つまり神を相手にケンカを仕掛けるという、とてつもなくDQNな物語なんだよね(笑)
 が、戦いを重ねることでグランセイザー達は、戦うことの空しさや仲間の大切さに気づき始める。個性も考え方も違う12人が、心を一つにした時、巫女の祈りが宇宙の意志に届く。

 どちらかというと物語は「専守防衛」。前にもちらりと書いたけれど、登場人物は揃いも揃って全員が自分勝手なボケキャラばかり。しかしお互いのことを「俺たちは仲間だ」と大切に思う気持ちは強い。
 だからこそ、最後には個性のぶつかりを誰一人否定することなく、調和から祈りへと昇華させていく。
 黄道十二宮をベースにしたキャラとヒーロー。当初は「数多すぎだよ」と思ったが、その設定にこそこの物語の神秘が宿っていた。地球を中心にぐるりとめぐるゾディアックは、まさに地球の意志そのものであり、宇宙と地球をつなぐものであり、同時にそれぞれが独立した個でもある。
 グランセイザー達が勝ち取った勝利、それは常にポジティブに互いを肯定してきた彼等だからこそ、到達できる境地だった。何故なら一つでも欠けてしまうと、ゾディアックは成立しなくなってしまうからだ。




 二作目の「幻星神ジャスティライザー」。今度は地球そのものが持つジャスティパワーが彼等の力の源となる。彼等は何一つ迷うことなく、地球を守るため、己の正義のために戦う。
 「正義」という言葉は、最近はヒーロー番組でさえ少々曖昧さを見せるようになってきた。その代表格が平成ライダーシリーズと言うことになるのだろう。世の中の価値観がゆらぐ現代、そうなるのは当然とも言える。逆に曖昧な正義の定義の中で、何を己の糧として「正義」とするか、それがテーマであったり、カギであったり、試練であったりするのだ。
 が、ジャスティライザーとして選ばれた彼等にはそう言う迷いはほとんどない。そもそも名前が「ジャスティ」という正義を連想させる。実は彼等の迷いのなさには明確な理由があるのだ。

 彼等の正義に迷いがない理由。それこそが「勇・智・仁」の三つの力なのではないか。
 ヒーローは戦う力を持っている。が、正義というのは力ではない。勝てば官軍、なんて言葉は、ヒーローには相応しくない。では正義とは何か。それこそ「勇・智・仁」のスピリットなのだ。力に屈しない勇気、真実を見極める叡智、他者を思いやる仁愛、これらが一つ欠けてもヒーローが心に抱くべき正義とは言えない。
 「勇・智・仁」の三つの力を担うべく、地球そのものが選んだ三人の若者。彼等が力を合わせた時にジャスティライザーはその強さを発揮する。そしてまたそこに「祈り」が加わることで、最強の戦士・シロガネが誕生するのだ。




 そして三作目、「超星艦隊セイザーX」。
 「グランセイザー」で紆余曲折の末にたどり着いた調和の精神と「独立した12のスピリット」。「ジャスティライザー」に流れていた、勇気と叡智と仁愛に満ちた正義の心。そしてより高次元の精神へ届けられる祈り。
 どれも不可欠な要素として、「セイザーX」という作品の根幹を担っている。こういうシリーズ作品の持つ不可思議な流れの中に、私はなにか不思議な力が働いている気がしてならない。「セイザーX」という作品が素晴らしい物語を見せてくれたのは偶然ではないのだろう。





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アドですね。本当の名前は長い。

 
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