2008年10月07日

ウルトラマンメビウス考・序

 「我々ウルトラマンは神ではない」

 これは映画「ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟」の中での、初めて地球を訪れた初代ウルトラマン・ハヤタの言葉だ。
 この言葉の意味は深い、と私は感じる。そもそもウルトラマンと怪獣は、よく神と自然現象に例えられることが多かったという。確かに巨大怪獣という、人類には不可抗力の大いなる驚異は天変地異を思わせるし、そこに絶対的な力で立ち向かって鎮圧してくれるウルトラマンは神の様にも思える。しかしこの映画の中で、はっきりとウルトラマン本人が「神ではない」語っているのだ。
 では、なんなのか。ウルトラマンとは人類にとってどういう存在だというのか。私は「ウルトラマンメビウス」を通してみながら、ずっとそのことを考えていた。


 昨年はウルトラマン40周年の記念であった。この節目に「ウルトラマンメビウス」という作品を通して、ウルトラ兄弟という「世界観」を復活させた円谷プロ。そこにどういう意図があるのか、なんてことは、私はスタッフのインタビューも企画書も、その手がかりは何一つ読んだことがないので言及することは出来ない。また、ウルトラシリーズに詳しいわけでもない。そう言う考察はきっと他の方が、納得のいく論説を書いて下さるだろう。

 そんなわけで、私は自分なりの目で見たメビウス考を書き連ねていきたい。常々言うところの「特撮は現代における神話体験」という視点を、かなり今回は深く感じ入ると共に、どう文章にまとめたものかと、少々困っている(笑)

 しかし、最初に言えることがある。

 良く私が好きで使う言葉「ヒーロースピリッツ」。人の胸の奥底に光り輝く最高度の善の心、何者にも屈せず燃え続ける魂、それを私はそう呼んでいるわけだけれども、今回改めてウルトラマンという作品群に流れている精神は、そんな言葉では形容できないような気がした。
 例えば仮面ライダーは等身大のヒーローだ。戦隊も然り。彼等は基本、人間の立場でありながら悪と戦う。彼等の胸には自覚するしないに拘わらず、常にヒーロースピリッツが抱かれている。特に平成ライダーのシリーズは、未熟な人間がヒーローとしての闘いを通して、真のヒーロースピリッツに目覚めるまでの物語が描かれていると思う。

 しかしウルトラマンは、違う。彼等のいる精神領域はすでにそこにはない。
 ウルトラマン。決して諦めない強い心と、たとえ何百回裏切られても失わない優しさ。それはヒーロースピリッツが「あって当たり前」の意識、その更に上。正に超人の名に相応しいヒーローであり、彼等は光の兄弟達なのだ。
 彼等は40年前から人類に闘いを通して、愛と勇気に彩られた光の意識を伝えてきた。子供の頃〜10歳前後、ウルトラ兄弟に触れることが出来た私達は幸せだ。そして今、その意識は二世代目に伝えられつつある。子供と一緒にウルトラマンを見る幸せを、あの頃の自分が想像出来たろうか?

 一年前、私達の目の前にウルトラマンメビウスが降り立った。
 紡がれた物語から見いだしたものはいったい何だったのか。
 余り先のことは考えず、書き連ねていきたいと思う。




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一昨年の今頃はまだ映画を上映してましたね。
 
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