2008年07月30日

仮面ライダー龍騎・8 王蛇(前)

 一方、王蛇もライダーとしてはかなり面白い存在だろう。
 彼は戦うことに理由も意義も見いださない。それが純粋に彼の欲望であり、それがつよさでもある。その奔放な戦いぶりは、普段抑圧されている私達の心を揺さぶり、強烈に惹かれてしまうパワーがある。浅倉という男の、セクシーな魅力もその一助となっていると思う。

 「仮面ライダー龍騎」という作品では、仮面ライダーという名称は「ミラーワールドに入って闘うことの出来る者」と言うこと以外の意味はない。つまりそこには私達がよく知る、伝統的なライダーの「人類の自由と平和を守る」正義の精神は付加されていない。
 何故戦うのか。それは各自の意志に任されている。それぞれのライダー達にはそれなりの理由があり、自分の願いや主義主張の為に戦いに参加している。

 その中にあって浅倉は特異だ。何故なら彼は戦いに理由は付けない。ライダーってのはいいもんだ、イライラがすっかり消える。彼の願いは脱獄して大暴れすることなのだから、ライダーになった時点で願いは叶えられている。
 浅倉は、単純に戦うのが楽しいから戦うのだ。

 浅倉はそのエビの中で、親に虐待されていたことをほのめかしてはいるが、どういう生い立ちがあったかははっきりと描写されていない。少なくとも、暴力衝動が強い上に、それを抑えようとしない男だ。
 私達の中には、自分にとって障害となる存在や安全を脅かす存在を、消滅させてやりたいという強い衝動がある。邪魔なアレや憎たらしいアイツを「目障りだ、消えろ…」と無くしてしまえたらどんなにいいか。あって欲しくないモノを破壊できたらどんなに楽しいか。誰かが下手に「殺してやりたい」なんて口走ろうものなら、やたら問題視してマンガやゲームに責任を押しつけたがる世の中だけど、案外これは私達の身近な感情だ。それを理性と教育で押さえ込んで、野獣を飼い慣らすように穏やかに生活しているにすぎない。
 しかし浅倉にはそんな口先の倫理なんて通用しない。思うがままに破壊し、楽しむ。浅倉は私達の抑圧された破壊衝動を満足させてくれる、魅力に満ちたキャラクターだ。

 ここで注意すべきは、浅倉というキャラの立ち位置は、あくまでも物語の上では「悪役」ということだ。浅倉は、他の三人の主役ライダーと対比させる形で物語を進行させる、正反対の存在として設定されている。
 無鉄砲な善意の塊の真司、良心の葛藤に悩みつつ意志を貫こうとする蓮、知性で心を押さえ込んで戦う北岡。彼等と真逆の男として、迷い無き悪意と破壊衝動を持つライダーになっている。言うならばあくまでストーリー上の「駒」だったはずだ。
 それが不思議なことに、物語が進むに連れてどんどん「生きて」くるようになる。映画版を見ると、はっきりと悪役としての役割を与えられている彼が、TV版では違う成長を見せるのだ。



またまた長くなったので王蛇の項つづく(^^;;;








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イライラするんだよ…
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