2008年06月11日

仮面ライダークウガ・5 クウガの涙

 人の優しさを保ちながら戦い続ける五代。その優しさ故に、初めてクウガになったときは白い姿の変身だった。拳を他人にむけることを誰よりも嫌う彼が、その痛みを自分の胸にしまって戦い続ける。

 更に追い打ちをかけるように、憎しみなどの負の心が、クウガを邪悪な戦士に変容させてしまう可能性が出てくる。

 この辺はスターウォーズのフォースに似ている。…実はこうしたモチーフはSF作品が最初ではない。むしろ古今東西のオカルト系教義や宗教に伝えられている話なのだ。聖者の転落とでも言うのだろうか。ある特殊な力を極めた人間が試されるテストであり、それに失敗すると結果は最悪。昨今取りざたされた、新興宗教の教祖達が起こす事件を思い出してみて欲しい。
 これは宗教だの超人だのだけが関わるのではなく、全ての人が等しく試されていることなのだ。負の心を持ったまま力を与えられると、それは破壊を導く。イジメとか、虐待とか、その例はいくらでも挙げられるだろう。

 ああ、話がそれた(笑)つまり真の敵は実は己の中にある。憎しみで戦うのではなく、愛ありきで戦う。人々を守るために。そしてそれこそ、ヒーロースピリッツなのだ。

 身と心を削るような戦いの日々。ラスボスは、丁度ネガとポジのように対極にある相手、ダグバだった。彼は殺戮を楽しみ、笑う。
 最後のダグバとの戦いで、五代は涙を流す。いったい何の涙なのだろう。
 解釈は色々だろうが、私は「戦うことそのものへの葛藤」なのではないかと思った。そもそもグロンギがテロを仕掛けなければ、クウガ・五代の戦いもなかった。話して分かる相手なら説得すればいいかも知れないが、その余地すらなかった。ただひたすら、人を守るために戦い続けたのである。
 その根本に愛があるからこそ、五代は凄まじき戦士になることはなかったが、だからこそ大きな矛盾があるのだ。何故なら話し合いの通じない相手との戦いは、どちらかが消滅するまで続くからである。消滅とはすなわち、自分と異なる存在の否定。それは愛を基本姿勢に持つ五代にとっては、それは己が二つに裂かれるような事実だ。
 守れなかった命への後悔。理不尽に人を殺す相手の残虐性への怒り。戦うという行為そのものへの疑問。そんなものを通り越した、ただ「何故?」という思い。

 理解したくても理解出来ない相手へ、戦いの疑問・悲しみそのものをぶつけるクウガ。その葛藤が涙となり、仮面の下に流れるのを知るものは、恐らくごく少数なのだろう。いや、本当の意味で「知って」いるのは、共に戦い続けた一条刑事と桜子さんだけかも知れないと私は思う(妹ですら五代の庇護の対象であった)。






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うおおおおお、これはなんと
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