2014年06月12日

キルラキル考察・8 キルラキルは最初から答えが出てたって?

 満艦飾家の「なんだかよくわからないもの」を刻んでぶち込んだコロッケ。
 最初は気持ち悪く描写されていたコロッケが、美味しい家族の味になり、仲間との絆になる。
 ちょいちょい繰り返されて天丼ギャグかと思っていたら、まさかここに答えがあったとは思わなかった。



 「キルラキル」で語られたこのテーマそのものに付いて、今更私が多くを語る必要はないと思っている。ストレートに放たれた物語が、最も雄弁だからだ。運命の姉妹の和解と共闘を描いた第二十二話。挫折と孤独を乗り越えた二人が初めて向き合い、お互いの胸の中に確かにある思いを確認し合う。
 「なんだかよくわからない」ものが存在しているから、この世界は美しい。鬼龍院皐月はそう言った。彼女らしく的を射た言葉だ。皐月は常に世界とは何か、人とはどうあるべきか、自分はそこでいかにすべきかを考えて生きて来た。だからこそ「わけわかんない」存在の意味を見いだそうとしたのだろう。
 一方流子はもう少し感覚的に捉えていて、「わけわからない」けど大切な存在に応えなくちゃならない、と言う。その言い方がまた如何にも流子らしく、キャラのぶれない素晴らしいところだなと思う。彼女は世界や他人がどうあろうと反抗心と義侠心だけで突っ走って来た。流子が成長し他に心を開くほどに、応えなくちゃならない存在は増えていく。
 二人が重ねてきた人生が導きだした結論は、色合いは違うが芯は一つだ。このわけわかんないからこそ美しい世界を、仲間達を、守りたい。

 親の負の遺産を乗り越えるには、親の支配下から脱して、自分自身が掴み取った「なにか」を武器に戦わなくてはならない。
 「キルラキル」の物語の中で、世界を一つの大きな布にしてしまおうと目論む母親に対して、主人公が勝ち得たものこそ「世界とはそもそもなんだかわけがわからない存在である」という真実だ。自分の理解や認識の外側にあるものの肯定。理屈に合わなくてもいい、意味が理解できなくてもいい、とにかくなんでもいい。その存在が世界をより複雑にし、美しくする。

 この第二十二話を経て、流子と皐月は明らかに変わる。二人の振る舞いや表情もそうなのだが、なにより流子は自分の「人でも服でもない」体を最大限に利用して羅暁に挑むのだ。これは人外である自分の体を肯定した戦い方だ。
 そしてもう一つ、第二十三話のラストで戦いの目的が「羅暁と縫の捕縛」になっている。それまでは明らかに母殺しを目的にしていた皐月の戦いの、大きな変化だ。人類の敵と思われた母ですら、「わけわかんない」世界のひとつとして受け入れられていることになる。
 パラダイムの転換が作り上げようとする世界を変えて行く。父からの負の遺産を完全に乗り越えた姉妹だからこそ、それを武器にして母の支配に正面から挑む事が出来るのだろう。




 「力による圧倒的支配vs自由を求める個」という図式は、一つの戦いのパターンでもあると思う。
 しかし絶対支配へ対抗するロジックに、「わけわかんない」という言葉を使うのは、驚きを通り越して脅威だ。

 これは私の勝手な持論ではあるのだが… 戦いの物語がその果てに最大の敵(もしくはライバル)と対峙する時、全力で戦うのは勿論の事、舌戦でも勝利を収めるのが理想だと思う。それも、主人公がそれまでの物語の中で経験し掴んだ「なにか」でラスボスを論破してこそ、「物語」と「戦い」がリンクした勝利になる。
 そして「キルラキル」は見事にそれをやってのけた。流子と羅暁の宇宙空間での一騎打ち。広大な宇宙と生命の進化を語る羅暁に対して、流子と鮮血は言葉だけ追ってみれば支離滅裂だ。当然の如く羅暁に突っ込まれる…

 「なにをわけわからないことを言っている!」
 「それが私達なんだよ!!」

 これを言い切って、しかも説得力を持たせる。
 全体主義に対する主張として「多様性を認める」という言い方も出来なくはない。しかし「わけわかんない」となると、かなりニュアンスが違う。
 「わけわかんない」とは自分の理解の範疇を超えているということであり、思考の「諦め」なのだ。分析とか解釈とか、言語化すら及ばないかもしれない。左脳で理解できない。だから言葉では「わけわかんない」としか表現できない。
 「わけわかんないけど、それが私達だ」こうやって結論だけ言葉にするのは簡単だ。でもその結論を導きだす「過程」を物語で紡ぎ出すことはどれほど困難なことか!そこに説得力を持たせるためには、物語の読み手に「わけわからないこと」を「善きこと」として納得させなくてはならない…
 「わけわからない」のだから、台詞だけ、口先だけの理屈ではだめなのだ。




 実体験だからこそ、声を大にして言いたい。
 「キルラキル」の序盤で「なんじゃこりゃ?」と思っていた人ほど、この物語から受ける衝撃は大きい。

 まず題名がわけわかんない。主人公の行動もよくわかんない。それぞれの人物も何考えてるのかこの状況はなんなのか戦いの理由がなんなのか、だいたいの形が見えているようでどこか掴めない。
 要はちょっとこのアニメを見て「なんかそれっぽい事を大げさに表現していてダチョウ倶楽部の芸風みたいだなwww」なんて言ってるタイプの人間ほど、最終的に自分の「キルラキル体験」が全て物語の伏線になるのだ。
 こんな風に頭の中だけで物語のテーマだの主人公の行動原理だの、理屈をこねくり回して評論めいた文章を書いている人間ほど陥りやすい落とし穴に、まんまと嵌ったその気持ち丸ごと、スパッと斬り裂いて鮮やかにまとめあげられたのを口をぽかんと開けて見ている自分に気がつく。こんなのってありなの?と思うと同時に、自分の思考の傲慢に改めて頭を垂れる。そして「ちくしょーやられた…」とニヤリと笑ってしまう。




 自分がなにものなのか、何のために生きているのか。
 そんな事が最初から分かっている人間なんていない。

 わけわかんなくてもいい。人は自分を全て理解できないのだから。




 …と、ここまで書いて、本当はこの辺で終わらせるはずのこの考察にもう一つ、気がついた事が出来てしまった。もう少しお付き合い願えたら幸いです。



 
 
posted by K at 00:46| Comment(0) | TrackBack(0) | キルラキル