2014年09月02日

【ネタバレなし】キルラキル 第二十五話先行上映会に行ってきました!

 8月31日 18:30〜 新宿バルト9にて行われた「キルラキル 第二十五話先行上映会」に行ってきました!
 滅多にこんなチケット取れない私が、奇跡的にゲットできたチケですよジーザス!!

 …そろそろDVDやBDが皆さんの手に届くでしょうが、円盤のみの収録になっているという作品の性質上、ネタバレなしで簡単に見終えた感想のみを書いておきたいと思います。




 いや、ただ一言で言うと「面白かったあ〜」に尽きます。
 そして色々と「なるほどな」と腑に落ちる内容になっています。
 物語も映像も、もうひとつの最終回として相応しいのではないでしょうか。

 実は個人的に「どうするんだろう…」と思っていた点がありまして。

 キルラキルは作品が全体的にクオリティが高くて、特に疾走する物語の熱量をさらに煽る画面力…ただでさえ高カロリーの脚本に足し算と掛け算で挑む演出に超動き回る迫力の画…が魅力だったと思うのですよ。それがあった上でのわけ分からないけど妙に説得力のある展開ですよね。
 と、同時に本能字学園という学校を舞台にし、「修学旅行」だの「文化体育祭」だのと学園ならではのイベントを盛り込んで来たからには、どうしても「卒業」というモチーフは最終話として不可欠。
 作品の魅力を損なう事なく、あの愛すべきキャラ達を卒業させる事が出来るのか?


 やってのけてましたwww


 この迫力と熱量。今まで足し算掛け算ばかりだったから、逆にしみじみと全編作る事も可能ではあったろうけど、やっぱりキルラキルってこうだよねーっていう第二十五話ですよ!
 そして各キャラの進路も駆け足だけど触れてるし、「あれはどうなったのかな」も回収されてたり、オールキャラがきっちり出てくる上に「このキャラと言えばこれだよね」みたいなのが散りばめられているのも非常に嬉しいし、「この期に及んでそれ出してきましたかw」とかもある。
 本編の中で運命の姉妹が両親の負の遺産を新しい価値観へと転換したように、「キルラキル」が綴った物語からの成長と卒業で完成させたなと思いました。なんて、ネタバレなしで言うのは難しいなw

 キルラキルを愛した人なら是非見る価値はあるし、期待して良い第二十五話です。
 「さすが満艦飾!」と声を大にしたくなること間違いなしですよ!



 トークショーはここで書いてある通りでしたw
http://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20140901/E1409506622414.html

 コスプレに身を包むVCの皆様にうおお…となりました。終始皆様楽しそうで和気あいあいとした中、チームワークの良さと作品への愛が伝わってきましたが、人も多いし時間が短くて深い話はなく(笑)お祭り感満載のトークショーでしたね。
 ここに書かれていない質問としては

 ・男性キャストの皆さんは恋人にするならどのキャラが良いですか?
→ (色んな皆さんのやり取りがあってからの)全員「羅暁さまで…」

 ・ヌーディストビーチの二人のその後は?
→ 海外でポールダンサーとして成功、劇場を建てる

 ・コロッケには何を入れますか?
→ 途中から食べられないものまで入り込んで闇鍋状態に


 あと質問ではないのですが、締めの挨拶を任された柚木涼香さんが、「脚本の2P目で号泣いた。今日ももらったDVDを見るたびに泣いてる」という話をしながら感情が昂って涙目で爆笑するという、それこそわけわかんないけど妙にハートの揺さぶられる一幕がありました。


 ああ、面白かったー
 とりあえずごっそり脚本からカットされたという「四天王が満艦飾家を訪ねるエピ」が読みたいので、「キルラキル脚本全集」は買うぜ!と思っています。それに物語は完結したけど、これからもイベントもちょこちょこあるようですね。



 またこんな素晴らしいスタッフで新しい物語が創られるといいなあ!




 
 
posted by K at 08:41| Comment(0) | TrackBack(0) | キルラキル

2014年06月24日

キルラキル考察・9 キルラキルってなんだったんだろうね…

 わけわかんない、それが私達なんだよ!
 曖昧も中途半端も不確定未分化理解不能も全部ひっくるめてそのまま、よしとする。
 「服」という概念からの解脱。「服か服されるか」の戦いは裸で抱き合う開放感と笑顔で幕を閉じた。




 「なんだかよくわからない」ことが是である。

 それは物語のテーマとしては非常に難しいことは前回も書いた。ただ起こっている事を描写しているのは「中継」「報道」となんら変わらない。そこに知性の光を当て、解釈の切り口を作り、意味を見いだしてテーマを訴えるから「物語」と成り得るのだ。
 よくわからないけど面白い、それだけならナンセンスギャグにすればいいし、それも可能な素材だと思う。しかしそうはならなかった。「わからない」という知性の限界を認めた上での存在の肯定。理論上の矛盾を凌駕する力技。どうしたらそんなことが可能になるんだろうと思うが、恐らく色々試行錯誤をするうちに生まれた偶発的な様々な要素がこの不思議な物語を紡がせたのだろう。




 世界も、私達も、なんだかよく分からない存在だ。だからこそ美しく素晴らしい。「キルラキル」の物語をまっすぐ受け止めれば、そこが物語の肝である事は間違いないと思う。
 だがこの考察を書きながら、私はもう一つ、考えさせられた事がある。
 【なんだかわからないもの】を、本当にそのままに、私達は受け入れる事が出来るのだろうか。意識する事が可能なのだろうか。

 人は理解の範疇を超えたものに対しては、意識的に隔離(無視や拒絶なども含む)をするのが普通だ。場合によってはその存在を認識する事すら出来ないかもしれない。

 と、思い返せば劇中最も"わけわからない存在"である満艦飾マコも、ずっと孤独な高校生活を送っていた。しかし物語を通じてマコは多くの人々に受け入れられて行く。モブからヒロインへ。そう成った切っ掛けは、纏流子がそのわけ分からなさを丸ごと受け止めたところから始まっている。
 マコはただ不条理な女子高生ではない。流子曰く「強いんだか弱いんだか分からねえ、気がついたら人の心ん中までずかずか入り込んでくる女」であり、全力で流子を信じ支えてくれる存在だ。単純に目に見える場所で微笑んでいるだけの友達ではない。ただそこにいるだけではだめなのだ。理解できないけど惹かれる要素、「わけのわかんなさに応えなくちゃいけねぇ!」と思わせるなにか、なんらかの+αがなくてはならない。

 自分がそれまで培って来ていつの間にか杓子定規になっていた文脈の読み取り方とか、こういうのがかっこいいんだよねと独りごちる画面のセンスとか、んなものは蹴っ飛ばして笑いながら疾走するのに目が離せない。そんな摩訶不思議なアニメみたいな、なにかが。




 それがなんなのかを言葉で語る事は出来ない。
 強いてあげるなら「熱」かもしれない。存在そのものの「熱」だ。




 物理法則に作用反作用があるように、ある種の熱が生み出したエネルギーがどこかで受け止められたとき、そのエネルギーは新しい熱を生んで押し返される。熱は放たれるとエントロピーを増大させながら拡散し、より複雑さを増して行く。それもこの場合、ただ漫然と世界に広がっていくのではなく、意図して関わって巻き込んで広がる熱だ。
 それは創造物でも一緒だ。熱が伝わり熱を生む。思いが形に成れば感動が生まれる。最近はネットが介在するために、目に見える形でそれらが連鎖し、それまで以上のスピードで周りを巻き込んで広がりを見せる。

 「頑張れトリガー!」なんてそもそも、予告の遊びだったのだろう。しかし一度放たれた言葉が刺激を与え、加熱され続けてていた思いが沸騰した。ファンの間でラスト一週間叫ばれていた「頑張れトリガー!」の叫びは、この「キルラキル」という作品がもたらした突沸だ。
 「制作側が納品ギリギリの進行状況なのをネタにするなんて」という批判もあった。しかしこの場合に限っては、その批判は的外れではないか、と私は思う。制作側の熱、それに応えたファンの熱、そしてさらにそれに煽られる制作側の熱…というひとつの「熱の渦」がもたらした現象だったからだ。これはその直中にいて体験した者でないと、そのリアルは伝わりにくいかもしれない。
 もちろん「キルラキル」がただ「わけわからない」アニメだったらここまでの熱狂はない。一つの作品としての表現力とその完成度、それが「ちゃんと伝わったから」こその熱の渦だ。

 言葉を超えた熱がアニメという形でそこにあった。
 それは「キルラキル」という体験だった。




 わけわかんない、それが私達だ。
 理屈でも主義主張でもない。理由すらなくていい。
 よくわかんない熱で今、存在している。

 熱を放つ限り、誰かが受け止めてくれるかもしれない。
 経験が熱をより複雑な秩序にして、より多くの人に受けいれられるかもしれない。

 空間に熱を解き放つ。そこから生まれる理解を超えた世界は、素晴らしく、美しい。





キルラキル考察・了







 本当は予定になかった「キルラキル考察」でしたが、「キルラキルはダチョウ倶楽部」発言に刺激されて書いてしまいました。いや難しかったな…
 考察というより個人的反省文のようになってしまいました。
 この場を借りて「キルラキル」という作品に関わった全ての方に感謝します。素晴らしい作品をありがとうございました。

 にしても岡田氏がこの発言をしてからキルラキルを見たかどうかは知らないんですけど、彼がその後どう感じたのかはかなり興味あります。
 ちなみに私はダチョウ倶楽部は好きです(笑)





 
posted by K at 10:57| Comment(0) | TrackBack(0) | キルラキル

2014年06月12日

キルラキル考察・8 キルラキルは最初から答えが出てたって?

 満艦飾家の「なんだかよくわからないもの」を刻んでぶち込んだコロッケ。
 最初は気持ち悪く描写されていたコロッケが、美味しい家族の味になり、仲間との絆になる。
 ちょいちょい繰り返されて天丼ギャグかと思っていたら、まさかここに答えがあったとは思わなかった。



 「キルラキル」で語られたこのテーマそのものに付いて、今更私が多くを語る必要はないと思っている。ストレートに放たれた物語が、最も雄弁だからだ。運命の姉妹の和解と共闘を描いた第二十二話。挫折と孤独を乗り越えた二人が初めて向き合い、お互いの胸の中に確かにある思いを確認し合う。
 「なんだかよくわからない」ものが存在しているから、この世界は美しい。鬼龍院皐月はそう言った。彼女らしく的を射た言葉だ。皐月は常に世界とは何か、人とはどうあるべきか、自分はそこでいかにすべきかを考えて生きて来た。だからこそ「わけわかんない」存在の意味を見いだそうとしたのだろう。
 一方流子はもう少し感覚的に捉えていて、「わけわからない」けど大切な存在に応えなくちゃならない、と言う。その言い方がまた如何にも流子らしく、キャラのぶれない素晴らしいところだなと思う。彼女は世界や他人がどうあろうと反抗心と義侠心だけで突っ走って来た。流子が成長し他に心を開くほどに、応えなくちゃならない存在は増えていく。
 二人が重ねてきた人生が導きだした結論は、色合いは違うが芯は一つだ。このわけわかんないからこそ美しい世界を、仲間達を、守りたい。

 親の負の遺産を乗り越えるには、親の支配下から脱して、自分自身が掴み取った「なにか」を武器に戦わなくてはならない。
 「キルラキル」の物語の中で、世界を一つの大きな布にしてしまおうと目論む母親に対して、主人公が勝ち得たものこそ「世界とはそもそもなんだかわけがわからない存在である」という真実だ。自分の理解や認識の外側にあるものの肯定。理屈に合わなくてもいい、意味が理解できなくてもいい、とにかくなんでもいい。その存在が世界をより複雑にし、美しくする。

 この第二十二話を経て、流子と皐月は明らかに変わる。二人の振る舞いや表情もそうなのだが、なにより流子は自分の「人でも服でもない」体を最大限に利用して羅暁に挑むのだ。これは人外である自分の体を肯定した戦い方だ。
 そしてもう一つ、第二十三話のラストで戦いの目的が「羅暁と縫の捕縛」になっている。それまでは明らかに母殺しを目的にしていた皐月の戦いの、大きな変化だ。人類の敵と思われた母ですら、「わけわかんない」世界のひとつとして受け入れられていることになる。
 パラダイムの転換が作り上げようとする世界を変えて行く。父からの負の遺産を完全に乗り越えた姉妹だからこそ、それを武器にして母の支配に正面から挑む事が出来るのだろう。




 「力による圧倒的支配vs自由を求める個」という図式は、一つの戦いのパターンでもあると思う。
 しかし絶対支配へ対抗するロジックに、「わけわかんない」という言葉を使うのは、驚きを通り越して脅威だ。

 これは私の勝手な持論ではあるのだが… 戦いの物語がその果てに最大の敵(もしくはライバル)と対峙する時、全力で戦うのは勿論の事、舌戦でも勝利を収めるのが理想だと思う。それも、主人公がそれまでの物語の中で経験し掴んだ「なにか」でラスボスを論破してこそ、「物語」と「戦い」がリンクした勝利になる。
 そして「キルラキル」は見事にそれをやってのけた。流子と羅暁の宇宙空間での一騎打ち。広大な宇宙と生命の進化を語る羅暁に対して、流子と鮮血は言葉だけ追ってみれば支離滅裂だ。当然の如く羅暁に突っ込まれる…

 「なにをわけわからないことを言っている!」
 「それが私達なんだよ!!」

 これを言い切って、しかも説得力を持たせる。
 全体主義に対する主張として「多様性を認める」という言い方も出来なくはない。しかし「わけわかんない」となると、かなりニュアンスが違う。
 「わけわかんない」とは自分の理解の範疇を超えているということであり、思考の「諦め」なのだ。分析とか解釈とか、言語化すら及ばないかもしれない。左脳で理解できない。だから言葉では「わけわかんない」としか表現できない。
 「わけわかんないけど、それが私達だ」こうやって結論だけ言葉にするのは簡単だ。でもその結論を導きだす「過程」を物語で紡ぎ出すことはどれほど困難なことか!そこに説得力を持たせるためには、物語の読み手に「わけわからないこと」を「善きこと」として納得させなくてはならない…
 「わけわからない」のだから、台詞だけ、口先だけの理屈ではだめなのだ。




 実体験だからこそ、声を大にして言いたい。
 「キルラキル」の序盤で「なんじゃこりゃ?」と思っていた人ほど、この物語から受ける衝撃は大きい。

 まず題名がわけわかんない。主人公の行動もよくわかんない。それぞれの人物も何考えてるのかこの状況はなんなのか戦いの理由がなんなのか、だいたいの形が見えているようでどこか掴めない。
 要はちょっとこのアニメを見て「なんかそれっぽい事を大げさに表現していてダチョウ倶楽部の芸風みたいだなwww」なんて言ってるタイプの人間ほど、最終的に自分の「キルラキル体験」が全て物語の伏線になるのだ。
 こんな風に頭の中だけで物語のテーマだの主人公の行動原理だの、理屈をこねくり回して評論めいた文章を書いている人間ほど陥りやすい落とし穴に、まんまと嵌ったその気持ち丸ごと、スパッと斬り裂いて鮮やかにまとめあげられたのを口をぽかんと開けて見ている自分に気がつく。こんなのってありなの?と思うと同時に、自分の思考の傲慢に改めて頭を垂れる。そして「ちくしょーやられた…」とニヤリと笑ってしまう。




 自分がなにものなのか、何のために生きているのか。
 そんな事が最初から分かっている人間なんていない。

 わけわかんなくてもいい。人は自分を全て理解できないのだから。




 …と、ここまで書いて、本当はこの辺で終わらせるはずのこの考察にもう一つ、気がついた事が出来てしまった。もう少しお付き合い願えたら幸いです。



 
 
posted by K at 00:46| Comment(0) | TrackBack(0) | キルラキル

2014年06月06日

岡田斗司夫の発言がまた物議をかもしているらしい

「キルラキル考察」が滞っているというのに、こんな日記をアップして申し訳ない。
ぶっちゃけ考察系はじっくり考えて書くので、
来週末にちょっと大きな予定を控えている現状では
そうそう手が出せないのであります。風邪さえひかなかったらなー…

さて、私に「キルラキル考察」を書かせようと思わせた原動力
「キルラキルはダチョウ倶楽部」発言でおなじみの(違)岡田斗司夫氏が
ちょっとした問題発言をしてネットニュースになっていた!www


「なぜAKB襲った?やるなら政治家襲えよ」 握手会事件への「オタキング」発言が物議
http://news.infoseek.co.jp/article/20140605jcast20142206865



…なにを隠そう、実は私は岡田斗司夫と言う人は「すげーな」と思っている。
問題や課題に対する思考の掘り進め方…とでもいうか、
「なにが原因か」の着眼点、「どうしてそうなる」の分析力、「ならどうする」の論理性。
悔しいけどすげーな、と思わざるを得ないと思う。

そしてそれを「どう伝えるか」という表現手段として、最も岡田氏が説得力を増すのが
「文章」という表現だと思う。的確に旨い言葉を選ぶんだよ。
改めてそれを感じたのは、これを読んだ時だ。

オタクの息子に悩んでます 朝日新聞「悩みのるつぼ」より (幻冬舎新書)
http://honto.jp/netstore/pd-book_25343710.html

人生相談本は余り興味なかったんだけど、ちょっと面白そうだなと読んでみたら、
思いのほか内容が良くて、それ以来メルマガなんてとっちゃってるよ私。



でもねー、逆に思うんだよね。
人には向き不向きがあるのだと… 非常に残念なのですが。

人に自分の考えを伝える時の手段って、一番得意なジャンルってあると思うのよ。
特に身近な友達じゃなく、広く一般に向けて表現する場合はなおさらね。
例えば私自身は、喋るより断然、文章で書く方が得意だ。



岡田斗司夫って人はさ!
ぶっちゃけ真面目な話ほど顔出しで話さない方がいい気がするよ!
動画に向かない。岡田斗司夫は動画に向かない人なんだと思う。
これは顔そのものの話じゃなくて、声と表情なんだよね。
この問題発言もいい事言ってるんだけど、そこが伝わってくる前に
なぜかこっちを身構えさせるなにかが発せられてくる気がするの。
(しかもネット記事になる事によって、発言の本意が誤解されているし)

だからさ。
岡田さん、動画って表現媒体はあなたに合わないと思いますよ…



 
posted by K at 21:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感いろいろ

2014年05月28日

キルラキル考察・7 キルラキルって運命の姉妹の物語だよなー

 関東無宿と臥薪嘗胆。対照的な人生を歩んだ運命の姉妹、流子と皐月。
 本能字学園でそうと知らず再会して敵対した二人の道が、ついに交差するかに見えたその時が、流子が自分の悲劇的な出生を知る時でもあった。
 人でもない。服でもない。では自分とはなんなのだろうか。




 鬼龍院羅暁という人が、いつからどういうきっかけであんな生命戦維の権化になってしまったのか、劇中で説明される事はない。鬼龍院財閥の最新科学の粋を集めても難しかった人と生命繊維の融合が、なぜ彼女には可能だったのか。もしかしたら何も知らず無防備に神衣を着る事で、皐月もあんな風になってしまったのだろうか。それならばなぜ、わざわざ赤ちゃんの体を実験体にする必要があったのか。
 また纏一身こと装一郎の行動もよく分からない。纏博士のプロフィールである「鬼龍院家で生命戦維の研究をしていた」というのは、装一郎時代の事をさすのだろうか。しかしそれならばなぜ、鬼龍院は纏博士の存在を知っていて、なおかつその研究を阻止するために針目を送り込んだのか。なぜ装一郎は皐月に妹が実は生きている事を明かさなかったのか…
 こういった細かいところは例の如く物語ですっ飛ばしているのだが、実は大して重要な事ではない。それは重箱の隅だからだ。
 じゃあ重箱の真ん中はというと、鬼龍院羅暁はもの言わぬ生命戦維の代弁者であり、繭星降誕を助けるものだ。そして纏一身はそれを阻止するために、皐月に意思を託し、流子には身を守り共に戦う仲間を作り、人として戦うための対抗組織を結成した陰のフィクサーだ。

 …と、言うと聞こえはいいけど、ぶっちゃけ二人ともとんでもない毒親じゃなかろうか。
 子供を実験隊にした鬼龍院羅暁は言わずもがな。研究のためとは言え、流子は放ったらかしにされてグレてしまうのだから、纏博士もネグレクトタイプの父親だったと言える。皐月は5歳までは愛されて育っていたようだが、そこから連絡一つよこさないし、なにより母親殺しを幼い娘に示唆するのだからとんでもない。




 皐月は父から思いを託される。母はもう母ではない人類の敵だ、と。その意味を正しく理解し受け継いだ彼女は、鋼鉄の意思と不屈の精神で、僅かな腹心以外には誰にも思いを告げる事なく準備をする。彼女にとっては人とは服に着られて安寧をむさぼっている豚であり、力で屈服させて思い通りに動かすための駒だ。能力の高いものには相応の力を与え、自分はさらにそれを凌駕する力を使いこなす事で支配する。
 周到な計画と秘密裏に貫かれた意思によって、計画は成功するかに見えた。が、自分の予想していたよりも遥かに羅暁と生命戦維は強大だった。
 力では勝てない。それどころか、こんなやり方は母と同じだ。世界を一枚の布で覆い尽くそうとする母を殺すために選んだ方法は、結局別の力で他者を屈服させることだった。「絶対的な支配」という思考回路こそ、母からの最大の「負の遺伝子」だったのかもしれない。
 だが身ぐるみ剥がされた皐月が反撃の爪を研ぎながら、その脳裏に浮かべたのは「きっと自分を見つけ出し、助けてくれるであろう彼等」の顔ではなかったか。

 また、流子は自己アイデンティティが崩壊し、究極の孤独の中にいた。姉の皐月には「愛された記憶」があり、忌むべき血であれ「帰属する家」があったが、流子にはそれがない。生まれてこのかた自分の「いるべき場所」はなく、感じるままにただ戦い、その中で寄る辺ない自分自身の存在を確かめて来た。そしてようやく親友とその家族に「確かな人とのつながり」を感じられたというのに、血を分けた家族からの「負債」がのしかかってくる。自分が人間ではない、という最悪の形でだ。
 人と生命戦維との戦いが繰り広げられている。自分の身の回りにいた人々は、もちろん人として戦っている。しかし自分は?人でも服でもない自分はどうすればいいというのだろう。自分とはなにか、どうすればいいのか、いるべき場所って何処なのか。
 暗闇の中で幻の甘い夢に浸ることで逃げていた流子を揺り動かしたのは、心から彼女が元通りの流子に戻って欲しいと飛び込んで来た「友達という言葉には収まらないわけわかんない存在」だった。


 


 望む望まないに関わらず、子はすべからく親からの様々な業を受け継ぐ。どんなに否定しても、そこから逃れる事は出来ない。
 「キルラキル」は主人公がヒロインであることから、母親が最大の敵になった。圧倒的な母の支配と、そこからの脱却。確固たる自我の確立。服従から独立へ。それには母と同じやり方ではダメだ。己自身が母の支配に絡めとられる前に、自分の力で立ち上がらなくてはならない。
 一方、父は皐月に意思を、流子に力を遺した。しかしそれは同時に、母殺しの大罪であり、人外の体と相棒だ。

 親からの負の遺産。それを乗り越えるためには、自分の人生で、自分の力で、何かを掴み取らなくてはならない。





ううう、体調不良で時間かかっちゃったよー 次でまとまるかな。つづく!




 
posted by K at 17:36| Comment(0) | TrackBack(0) | キルラキル

2014年05月14日

キルラキル考察・6 キルラキルって途中からすげーことになるよね!

 画の力。言葉の力。声&音の力。アニメーションという映像表現を最大限に生かして、高エネルギー状態を作り出していた「キルラキル」は、第十六話から大きな転換を迎える。
 いきなり総集編が始まったかと思ったら、超高速のナレとカット割りで数分で終わって本編がスタート、OPが新しくなるのだ。
 ここからあれよあれよの怒濤の展開が始まるとは、「総集編もアバンで終わる!」の早口ナレに爆笑していた時は予想だにしなかった。
 まるでスポンサーの意向でプロデューサーと脚本家の首がすげ替えられたみたいだ(笑)





 バトルものでキャラ達が持つ「不思議な力」について、常々あまり深く語られる事はない。「修行したから」「持って生まれたものだから」「そういうエネルギーが存在しているから」というように、基本設定の一部だからだ。
 だからあまり、この「キルラキル」における「生命戦維」というものについても深く考える人は少なかったろう。むしろ、濃いキャラや喋るセーラー服のインパクトに押され、主人公の過去とかライバルの意図など「それ以前に語られるはずの部分」をスカッと無視した展開もあって、よくある超科学の一種だろうな〜くらいに脳内で処理していた。
 それがここに来て「実はエイリアンでした」というとんでもない設定が明かされる。

 それにしても実に良く考えられた設定だ。感心するより驚かされた。「服」という言葉の持つ意味、着るのか着られるのかというだけではない、それを服すのか服されるのかという文字の持つ意味を改めて問いかけられたすごい設定だ。(…これってどうなんだ?海外の人にはここまでのニュアンスは伝わるんだろうか?)などと、余計な心配までしまう程には、漢字文化で培われた感性を必要とする驚きだ。
 赤くて太くてデカいロゴで、ずいぶん文字力を強調してくるアニメだなあと思ってはいたけれど、こんなところでその深みを感じさせられるとは思わなかった。いや、「服」を題材にして戦うという設定を使って、色々と「よく出来ているな〜上手いな〜」と感じさせるところは何カ所もあった。けど、ここまで「服」という字の持つ意味を根本的な設定に埋め込んでいるとは予測していなかった。
 話が一気にラストに飛んでしまうけれど、戦いの終盤、敵の驚異的な力に「絶対服従」というのががある。それまで生命戦維だの極制服だの襲学旅行だのと、やたらと変換が面倒くさい(笑)当て字的な文字遊びが多用されていたこの作品の中で、この「絶対服従」だけは何の遊びもない。赤い太いロゴで「絶対服従」という文字が画面に鎮座した時、とんでもないインパクトを感じた。これぞモヂカラだ!(@シンケンジャー)


 生命戦維の謎が語られたのが第十六話。さらに第十七話から皐月と四天王達の真の目的が明らかになり、そこからは毎週毎週が手に汗握る予測不能の展開が待っている!
 「キルラキル」の構成はお見事、としか言いようがないものだ。前半で描かれていた色々な要素が、ここに来てようやく納得できるようになっている。皐月の戦いの中での微笑みや「鴻鵠の志」がなんなのか。本能字学園と極制服の存在の意味とは。黄長瀬襲撃の理由と反制服運動の目的、なぜそれがヌーディストなのか… 十八話くらいまで見た後で、最初の方を繰り返してみるとまた発見がある。前半のドタバタした展開と熱苦しい雰囲気に、飲まれ巻き込まれるように流されていたものの中に実は意味があったのだと気がつかされるわけだ。

 物語は巨大な敵を目の前にして否応なく盛り上がっており、新たに出てくる新事実が見方を逆転させる。
 皐月は臥薪嘗胆を胸に秘め、全ての事柄をただひとつ世界の変革のため、呪われた鬼龍院家の業を絶やすために、己を鍛え仲間を集めその時に備える鋼の意志を持つ人だった。四天王と裁縫部部長の伊織、その叔父で執事の揃だけがその意思を知り、そして全力で支えていた。
 そして流子は… 皐月の生まれたばかりの時に死に別れた妹であり、そして人ではなかった。




 「ただ喧嘩をしていただけ」だと、流子は思っていた。
 服がエイリアンだとか、そんなことは関係ない。
 ただあの高いところから見下ろしてくる女の、あのやり方が気に食わないと。
 それがまさか、自分自身が人でも生命戦維でもない化け物だったなんて。
 自分ってなんなんだ。なにものなんだ。

 そんな主人公の答えに、斜め上から答えを出すのもまた「キルラキル」らしいんだな。


よしよし、ラストが見えて来たぞ!と思いつつ、つづく!




 
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2014年04月28日

キルラキル考察・5 キルラキルって細かいこと気にしてる余裕ないよね!

 「なぜ?」という言葉を置いてけぼりにして、物語は疾走する。
 主人公・纏流子のパートナーは渋い声で喋るなぞのセーラー服と、意味不明な事を熱く語って周囲を巻き込んでしまう満艦飾マコ。彼女がサブキャラの中でも重要な位置をしめているという、この無茶苦茶さが如何にも「キルラキル」らしい。いや、ハードなファイターの傍らにコミカルなキャラが配置される事はよくある。そのコミカルさが限りなく直角に近い斜め上で、見ているこちらが煙に巻かれるレベルであるところがすごいところだなと思う。
 だが彼女の言葉に「さすが満艦飾!」と思える頃には、すっかり世界にハマっているのだろう。




 じゃあ「キルラキル」は物語的な大きな枠を全く視聴者に示していないかというと、決してそうではない。それは流子のライバルであり敵対勢力のトップに君臨する鬼龍院皐月の存在だ。

 後に流子に「太眉への字口」と言わせしめる彼女の表情は常に堅く、言動は厳しく、常に流子のすることの先を読み己の駒として利用している。そこには明らかに何か目的がある。特に第三話で神衣純血を着る決意をした時の「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」という言葉は、その意味を知っていると「おや?」と思わせる。
 また、同じく三話の鮮血を着ての闘いに覚醒した流子の一撃を避けたとき。皐月はふっと微笑んでいる。似た意味ありげな微笑みはもう一度あり、第七話で流子とマコが極制服の力に飲まれる事なく、互いの絆を取り戻したとき。やはり去り際に口元が微笑んでいるのだ。
 しかしその微笑みは印象的だがそのとき限りのもので、次にはもういつもの"への字口"に戻っている。あれはなんだったんだろうと思わせたままで次の展開に移ってしまう。

 鬼龍院皐月に絶対の忠誠を誓う四天王の存在も、物語上とても大きい。「何か目的があるらしい」絶対君主に対して、その目的は共有されているのか、いないのか。その忠誠度はどの程度なのか。
 そもそも四天王なんて存在は、主人公のヤラレ役になるか裏切るか、になるというのが割とパターンだ。その四人組も「筋肉・武闘派・知性派・美少女」と駒が揃っていて、生徒会室とやらもやたらと怪しい。まあ順番から言って筋肉が最初に戦維喪失して、「蟇郡がやられたようだな…」「ククク…奴は四天王の中でも最弱…」「本能字学園の面汚しよね」とか言われるんじゃないかと(笑)でなかったら乃音か犬牟田が裏切る。もしくは犬牟田がすべてを操っている!というパターンがありそうだな、とか(笑)
 それが早くも第六話で猿投山がいきなり流子と戦い、彼と皐月の過去の話が描かれる。そこから四天王にスボットが当たるたびに、意外と彼らの忠誠というか、皐月との絆は深いのかなと思わせる。そして塔首頂上決戦で流子に破れる度、応援席のマコのところに蟇郡→犬牟田→蛇崩と揃って来て、ワイワイ言い合う頃には可愛げさえ感じさせるようになる。

 普通のバトルもので四天王が捨て駒扱いされてしまう場合、負ければそれっきりだ。でなければ主人公側につくか解説役で残るか… だが「キルラキル」の四天王は負けるとパワーアップしてもらえる。猿投山戦の時に気付くべきだった。物語は明らかに四天王を成長させている。
 塔首頂上決戦がとんでもない乱入者のせいでぶち壊された後、皐月は四天王に「お前達はまだ強くなる」と言っていた。明らかに皐月は何かの目的のために四天王を戦士として「育てている」意図が、この頃から見えてくる。いや、ここに来てやっと知らされたと言うべきか。




 …というような物語の大枠は示されているものの、実際リアルタイムで物語を追っているとそれどころではない。四天王ってどんな戦いするのかなーとか、猿投山リベンジするかと思いきや針目縫が乱入して来たりとか、父の仇に暴走してとんでもないところをマコに助けられたりとか、やっとひと心地付いたところで鮮血バラバラとか、三都制圧襲学旅行とか、まーイベントが盛り沢山だ。
 展開が突拍子もない上にスピーディ。しかもそこで見せつけられるビジュアル…いや、「アニメ力」とでも言うべきか。画の力が圧倒的に迫ってくる勢いに、つい夢中になって見入る。魅せられる。特に第十五話、三都制圧襲学旅行の時の流子と皐月の一騎打ちは素晴らしかった。そしてこの戦いこそが、前半のピークでもあったのだ。

 後から思えば「隠されていたのか」と気付くかもしれないけど、見ている時はそんな風に考えている余裕はなくて、ただただ作品に気圧されるが如く、目の前に繰り広げられる戦いを眺めていた。





 派手な演出やスピードに馴れた。
 キャラクターの作り込みが重ねられ彼らへの思い入れができた。
 さりげなく伏線が張られていた。
 なんだかわかんない色々なことが「まあいいかな」と気にならなくなったこのタイミングで!

 怒濤の展開で煙に巻いていた「キルラキル」の世界の奥に存在していた謎の物質「生命戦維」の謎が明かされる。



まだつづく!



 
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2014年04月18日

キルラキル考察・4 キルラキルってキャラも癖があるよなー

 状況に巻き込まれ、人の思惑に動かされ、がむしゃらに戦って勝って強くなって。「キルラキル」の主人公・纏流子は今日も目の前に敵にメンチを切る。
 周りの奴らは癖のあるキャラばかり。最上段から見下ろす太眉への字口女に、その配下の怪しげな四天王、訳知り顔の変態教師と変態モヒカン、自分の味方はトンデモ理論で煙に巻く押し掛け親友とその大らかで無茶苦茶な家族だ。しかも驚くべき事に、物語の基本的な設定に付いてはほとんど説明がないままにストーリーが進行して行く。唯一分かっているのは「生命戦維」という超科学が存在している事…
 そして私は思うのだ。「うーん、面白いんだけど、なんだかわかんないなー」




 この物語、前半は学園制覇モノで【主人公・流子】vs【鬼龍院皐月と四天王+学園生徒】の戦いになっている。その中で単身戦う流子をサポートするのが満艦飾マコとその家族、あと謎のヌーディストである美木杉先生だ。
 この美木杉先生は「訳知り顔でモノを言う割には肝心のところで役には立たない」という、主人公からは一歩引いた立場を通している。無駄に光る乳首と股間のせいで見失いそうにはなるけれど、その立ち位置は如何にも先生であり「ヤンキーに接している大人」だ。美木杉としては流子の成長を見守っているのだが、流子本人は「なんだこの変態」と軽い反発を見せている。
 流子の支えになってくれているのは友達、満艦飾マコと満艦飾家の人々だ。にも拘らず、誰一人普通の人が出て来ない「キルラキル」の中でも最大限にカッ飛んでへんちくりんなのが彼らという、およそ戸惑わざるを得ないキャラ配置になっているのがすごいところだ。

 マコの振りかざす理論は無茶苦茶だ。実は言葉だけとればそれほどおかしくないし筋も通っているっぽいのだが、「え、今それをここで言うの?」という困惑に満ちている。
 例えば……ケンシロウとラオウが睨み合って一触即発の状況というときに、傍にいたリンが「ケンは負けない!ケンの筋肉がとってもきれいなの、私お風呂場で見たんだもの!」とか言い出しちゃうみたいな。普通だったらまずあり得ない。でも毎回、そんなのが流子の戦いの度に繰り広げられるわけだ。
 そーいうあまりに斜め上のところからくる掩護射撃に、登場人物のリアクションは「笑っちゃう」「ポカンとする」「イラっとする」と、だいたいその三種類だ。が、それは視聴者も変わらないだろう。
 満艦飾家も大概だ。そもそも「闇医者」ってどーゆーことだよ。あいつらいつから本能町に住んでるんだよ。又郎の義務教育ってどうなってるんだよ。あのコロッケ何混ざってるんだよ…と。(←ちなみにこれらは全て最後までうやむやです・笑)



 しかしマコもその変な家族も、いきなりやってきた纏流子に対して、調子っぱずれだが心から温かく接してくれる。
 なによりマコはどんな時でも流子の味方で、たとえ相手が誰であれ、決して臆する事はない。それが極制服を着た皐月や四天王でも、いきなりやってきた反制服運動のゲリラでも。
 5話で反制服ゲリラの黄長瀬紬に流子が襲撃されたとき、マコは流子に出会うまで「頭の中にしか友達がいなかった」と言っている。見た目に反して孤独な学園生活だったのだろう。押し掛け親友ではあるが、マコは流子の事を本当に大切に思っており、流子もその突飛な言動に唖然とさせられつつ信頼し、二人はいつも一緒にいる。
 二話では気持ち悪そうに描写された満艦飾家の食卓だったが、いつしか彼らとの日々に馴染み、その「なんだかわかんないものが混ざったコロッケ」を流子が美味しそうに頬張るようになった頃。

 そんな調子で進んで来たお話が、いきなりひっくり返る。第七話「憎みきれないろくでなし」だ。

 スタートは和やかな食卓と、騒がしくも温かい満艦飾家の描写なのが、喧嘩部の立ち上げと躍進が富を生み、彼らは一気に成金になってしまう。そこで簡単に金に踊らされるところは如何にも「あの人たちだよなー」って感じなのだが、それぞれが我欲に走ったために家族はバラバラ。ついには流子は喧嘩部特化型二つ星極制服を与えられたマコとの一騎打ちをする事になる。
 あのマコが!どんな時でも流子を信じ応援していたあのマコが!流子に拳を向けるのだ。
 喧嘩部極制服はそのデザインもマコによく似合っているし、結構ガッツリ戦うので、見ているこちらは本気でハラハラする。もちろん、ここから二人が敵味方…なんてひねくれた展開、「キルラキル」はしない(笑)そこから二人が和解する過程もなんとも彼女達らしいし、泣きながら反省するマコが表情も台詞もものすごくいいので、見ていてグッと来てしまう。

 そりゃ王道な展開といえばそうだ。思いっきりベタだ。が、その王道展開を見事に魅せてくれる。一話の中にこれだけ詰め込んで自然に持って行く手腕が素晴らしかった。見ているこちらに考える暇を与えない。あれよあれよと言ううちに、どんどんお話が転がって行ってキャラが変貌し、クライマックスの一騎打ちに持って行って、感動させた上で爽やかに締めて、めでたしめでたし。
 二人が眺める打ち上げ花火や、ラストのにっこり笑っていつものコロッケを食べる流子の笑顔に、思わずこちらの顔がほころぶ。後に残るのは「いや〜面白かった!よかったなーいいお話だったなー」というスッキリ感だ。



 満艦飾マコというキャラは、とんでもない飛び道具だ。バトルもののアニメで、これから戦おうという場の空気を壊して、超理論でノリを崩す。面白いと言えば面白いけれど、描き方によってはウザキャラになりかねない。
 でも第七話で「マコが彼女らしい理由で敵になり、また彼女らしく流子の友達に戻る」という、このストレートな裏切りエピを作り上げる事で、この風変わりな女のコが「キルラキル」という物語にとって本当に必要で愛すべきキャラなのだなと実感させられた。マコは「流子ちゃん」が大好きで、きっと、きっとこれから先に流子に大変なことが起こったとき、絶対彼女の事を助けてくれるんだろうと。

 そして、このエピソードを経た頃から、マコのトンデモ理論を聞いたリアクションとして「笑っちゃう」「ポカンとする」「イラっとする」の三種類の他に、「さすが満艦飾」というのが増えるわけだ。…絶妙すぎだろ!(笑)




 「面白かったけどなんだかわかんない」作品が「なんだかわかんないけど面白い」に。
 物語の布石は着実に置かれている!

 あの頃は全く気付かなかったけどね。
 ただ、面白かった。それでよくなっちゃったから。



まだ続く!我ながらしつこいw



 
posted by K at 21:43| Comment(0) | TrackBack(0) | キルラキル

2014年04月11日

平成ライダーのハンドサイン作ったwww

今流行の「○○のハンドサイン」。
ついつい出来心で「平成ライダーのハンドサイン」作ってみた。

Bk52yWPCQAASvI4.png-large.png

byハンドサイン画像ジェネレーター
→ bzmm.jp/hs_gene
作:@handsign_matome


12パターンしか入れられないから「宇宙キター!」以降が入れられなかったよ!
(でも両手あげなくちゃならないからフォーゼ難しかったかw)

アギトの翔一ってライダーになってから喋んないから困った。
「氷川さんは不器用だなあ」とどっちにしようか悩んだ末、
氷川さんの名誉を重んじてこっちをチョイスしたよ。

キバは正確には渡じゃなくてキバットの台詞だけど、
インパクトデカいのでこっちにしたのだ。
てか思い浮かぶのが名護さんの言葉ばかりで困る名護さんは最高です。

キルラキル考察・3 キルラキルって一筋縄でいかないよね!

 「キルラキル」が終わってしまった寂しさを、こんな風に感想考察書きながら埋める今日この頃。
 思い返せば毎回毎回、画面からはものすごいエネルギー量が放たれた。濃いぃキャラ、捲し立てられる台詞、圧倒の演出、怒濤の作画で、スタートダッシュから通常の三倍の速度で駆け抜ける!
 そう言う意味では「キルラキル」は、見ている人間にも少なからず負荷を与えるアニメだったかもしれない。高い熱量のある作品が持つ「巻き込まれる感じ」があった。


 まーでも、一筋縄でいかない作品なんだな。
 そこがこの物語の最大の魅力であり、ものすごいところなんだけども。




 「キルラキル」の前半は、学園制覇モノのパターンをキッチリ踏んでいる。
 力による露骨な階級制で支配された学園と、その頂上に君臨する絶対者。そこにふらりとやってくる転校生。成り行きから戦う事になり、学園vs転校生の全面対決へと発展して行く。絶対者とはライバル関係ではあるが、まだ力は及ばない。でもいつか倒してやるぞ、と。もちろんそれだけではなく、父の死の謎やら怪しげな組織やら絡んで来て、謎解き的な要素も含んでいる。
 これだけ文字で書けば確かに昭和っぽいし、絵柄も今時の「萌え絵」とは一線を画した硬派な感じだ。と同時に前にも書いた通り、劇中の時間の流れがとてつもなく濃密な、最先端のアニメの印象がある。この作品の複雑な色合いを深めているなと思う。
 しかしそれらは絶妙にブレンドされており、きっちり世界は作り出している。なのに私は、どうしても物語に乗り切れなかった。最大の理由は、主人公・纏流子の言動だ。

 私は序盤、「なぜ流子は戦っているんだろう?なんのために変身する?」という、ぼんやりとした疑問を抱き続けて見ていた。

 例えばひょんな事から力を手に入れた変身ヒーローものなら、物語の早いうちに「戦う理由」を決意するお話が必ずある。でも流子には明確なそれがない。売られたケンカを買い、状況に流されて、行き当たりばったりで戦っているだけだ。三話は確かに一つの大きな成長物語だったけど、これも神衣・鮮血の着こなし(絆でもある)のステップアップであり、戦う決意のお話ではない。
 また押し掛け親友の満艦飾マコは「戦う原因」にはなるけれども「戦う理由」ではない。彼女を守る!とかそういうのとも違う。「流子ちゃんがんばれ!」「しょうがねえなあ」という感じだ。しかもそのマコの言葉は恐ろしく意味不明なのに(笑)無駄に高いテンションに何故か納得させられてしまうとんでもない女のコだったりする。

 だから見ているこちらは「なんだかよく分かんないまま、ズルズルっと戦っちゃってるのに、テンションだけはめちゃ高いよな」と思っていた。敵役である鬼龍院皐月がなにやら考えがあり、しかも「鴻鵠の志」を持っている様子なのに対して、流子は主人公でありながらキャラとして立ち位置が不安定だ。
 しかも主人公の過去がようやく語られたのは8話。「幼い頃から親に放ったらかされた末にグレた」過去も「なぜ父が殺されたか知りたかった」という動機も、その時に明かされた。とにかく流子は序盤、状況に流されマコに煽られ(笑)襲い来る極制服の生徒と戦い続ける。



 しかし今なら思う。なぜ戦うのに理由を欲したんだろうかと。鮮血が己の力を出し切れずに血のつながりを求めたように、私も流子が戦う理由がないことにこだわったんだろうか?偉そうな奴がいるからぶっ倒す、でも十分のはずだ。
 それこそ昭和のアニメには、戦う理由なんていらなかった。そこに敵がいる。それだけでよかったのに。

 よくよく考えてみると、現代のバトルもの…特に熱血系のバトルものの主人公は、必ずなにか自分の願いや主義主張、譲れない思いなどがある。別にそれは「君だけを守りたい」でもいいし、「海賊王に俺はなる!」でも「オラ、強くなりてぇ」でもいい。戦う原動力のようなものが存在している。それがない場合は「戦う決意」シークエンスが必須だ。
 複雑な現代社会と人の心が、物語ですらも単純に善と悪で割り切る事が出来なくなっている。
 そこには対立する理由があり、それぞれの主義主張のぶつかり合いがある。そんな物語に馴れすぎて、バトルものを見る時はついつい「なぜこの主人公は戦うのだろうか」と考えてしまっていた。流子は高校二年生の女の子。大義はなくて当たり前。そもそも別に戦うのに大きな理由はなくてもいいんじゃないの?



 それが正しいこと、当たり前の事と思っていたけれど。
 私は自分が想像しているよりも、ずっと頭が堅い…



 可能性って、無限にあるというのにね。



 でもその辺がどーでも良くなった頃から、どんどん面白くなって行くんだよなー(笑)

 こんなに書いたのにまだ7話に届かなかった。まだちょっと続くんじゃ。
 ところで【燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや】って、「声に出したい中国故事・ベスト10」を作ったら、絶対五位以内に入るよね!



 
posted by K at 00:27| Comment(0) | TrackBack(0) | キルラキル